「学校に行かない」選択をする子どもたち 「不登校」の理由をフリーランスティーチャーが明かす

フリーランスティーチャー・田中光夫先生に聞く、子どもが不登校になったときどうしたらいい? #2 不登校時の過ごし方

フリーランスティーチャー:田中 光夫

学校側との連携のタイミングは子どもの様子で決める

──不登校は、子どもが登校を拒否しているのではなく、学校以外で学ぶことを選択しているのだと捉えれば、学ぶ手段はいろいろあることが分かってきました。一方で、不登校時に親は学校側とどのような連絡の取り合いをすればよいのでしょうか。

田中先生:これは状況によって変わりますね。子どもが学校に行きたがらなくなった初めの段階では、学校側と保護者はしっかり連携しながら子どもにとって最適なサポートをしていく必要があります。

というのも、学校を休み始めてから数日は、「これまでどおり学校に行こうとしているのに、なぜか身体が動かない」、「自分でもなぜ、不登校になってしまっているか分からない」というケースが多いんです。「学校に行くことが当たり前」と本人も思っている段階で、学校側としっかりと連携が取れていれば、再び学校へ通いやすくなりますね。

ところが、親や子ども自身が「学校ではないところで学ぶ」、「登校しない」と決めている場合もあるんです。教員の立場としては、学校に来てもらいたい。けれど、子どもにとって何が幸せなのかと考えたときに、「学校に来ない」という判断がその子にとってプラスになるのであればそれは認められるべきだとも思うんです。

例えば、ご家庭で「もう学校には行かない」と決められているにもかかわらず、教員が毎日連絡したからといって、それがきっかけで登校できるようになったという話はほとんどありません。ましてや、学校側が追いかけることでかえって子どもにプレッシャーや苦痛を与えてしまうケースもありますから。

──確かに、不登校の状況は人によって違いがあるので、学校側との連携に関しては個々によって変わってきますね。

田中先生:そうですね。ただ教員としては、保護者や子どもをしっかりサポートしたいと思っています。例えば、フリースクールの活動だったり、野外活動を通した学びの場であったりと、どれだけニーズに合ったものを提供できるかは分かりませんが、子どもと向き合いながら一緒に考えていけたらと思います。

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子どもが学校生活から離れると、「孤立してしまうのではないか」、「社会性が身につかないのではないか」と親は子どもの将来を考えて不安になることがあります。

しかし、田中先生は「不登校だからといって、社会性が身につかないわけじゃない。もっとアクティブに動くことで、社会性を身につけることができます」と教えてくれました。

また、今の時代は、インターネットを通じて情報が取得でき、オンラインを通じていろいろなコミュニティに参加することができます。このような時代だからこそ、子どもたちは不登校の間も自分に合ったコミュニティの場が見つけやすくなったと言えるかもしれません。

3回目では、多様な生き方が選ばれる今の時代だからこそ、自分らしい道を選んだ子どもに対して親はどのように対応すべきかを、引き続き田中先生にお伺いします。

取材・文/山田優子

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(3回目は2023年6月7日公開日予定。公開日までURLリンク無効)

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たなか みつお

田中 光夫

フリーランスティーチャー

14年間の公立小学校勤務を経て、2016年4月より休業に入る先生の代わりに学校担任をする「フリーランスティーチャー」に。現在(令和5年6月)までにトータル12の小学校で代替え教師を務める。また、教員向けの実践ワークショップを定期開催している。 主な著書「マンガでわかる! 小学校の学級経営クラスにわくわくがあふれるアイデア60」。 Twitter @kariageshokudou​

14年間の公立小学校勤務を経て、2016年4月より休業に入る先生の代わりに学校担任をする「フリーランスティーチャー」に。現在(令和5年6月)までにトータル12の小学校で代替え教師を務める。また、教員向けの実践ワークショップを定期開催している。 主な著書「マンガでわかる! 小学校の学級経営クラスにわくわくがあふれるアイデア60」。 Twitter @kariageshokudou​

やまだ ゆうこ

山田 優子

Yamada Yuko
ライター

フリーライター。神奈川出身。1980年生まれ。新卒で百貨店内の旅行会社に就職。その後、拠点を大阪に移し、さまざまな業界を経て、2018年にフリーランスへ転向。 現在は、ビジネス系の取材記事制作を中心に活動中。1児の母。

フリーライター。神奈川出身。1980年生まれ。新卒で百貨店内の旅行会社に就職。その後、拠点を大阪に移し、さまざまな業界を経て、2018年にフリーランスへ転向。 現在は、ビジネス系の取材記事制作を中心に活動中。1児の母。