「ムーミン」誕生の背景がわかる ムーミンママは原作者トーベ・ヤンソンの母親がモデル「少女ソフィアの夏」解説

「孤独ねえ……。それはまあ、最高のぜいたくですわ」

編集者:横川 浩子

フィンランドの夏。ヘルシンキの公園にはシンプルながら美しい景色があります。撮影/Kayo Isomura
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たくさんの方に愛され続けているムーミンの世界は、小説が原典であることをご存じでしょうか。著者であるトーベ・ヤンソンが自身の母と姪をモデルに、実際の島暮らしの様子を描いた『少女ソフィアの夏』には、ムーミンの自由や愛、寛容性、平等といった考え方の根幹を見ることができます。ムーミンの本を長く手掛けてきた編集者・横川浩子さんが、深く味わうための背景を教えてくださいました。

『少女ソフィアの夏 新版』 トーベ・ヤンソン/作 渡部翠/訳 講談社©Tove Jansson

ムーミンママのモデルは作者トーベ・ヤンソンの母シグネ

ムーミン谷のムーミンやしきには、隣人から見知らぬ旅人までさまざまな者たちがやってきます。あたたかいベッドと食べものをすぐに用意してくれるのはムーミンママ。モデルは自分の母シグネだと、作者トーベ・ヤンソンは語っています。
「私が書いた中で最も美しい物語」と自負する短編連作『少女ソフィアの夏』でソフィアとのダブル主役とも言える「おばあさん」のモデルもシグネです。
幼いトーベが物語や絵の楽しさを知ったのは、その母のひざの上でした。
トーベの人生と作品に大きな影響を与えてきたシグネ・ハンマルシュテイン・ヤンソン。いったいどんな人物だったのでしょうか。

自由を求めて行動する女性

『少女ソフィアの夏』に登場するおばあさんは、杖なしで歩くことはおぼつかないものの、孫ソフィアとの会話は丁々発止でキレがよく、煙草とお酒が好きで、自分の中に確たる流儀とユーモアを備えた人です。

「ソフィアは、おばあさんの後ろをもくもくとついてまわり、おばあさんが月をひきつれて歩いていくのを、夜がすっかりおだやかになっていくのを、見ていた。」『少女ソフィアの夏 新版』

収録された短編〈テント〉には、おばあさんが昔ガールスカウトのリーダーだったとあります。これは事実で、シグネは友人たちとスウェーデン最初のガールスカウト設立に向けて奔走しました。女の子が長いスカートからキュロットに穿き替えて野山を駆け、火の点け方から骨折の手当てまでこなし、夜はテントで眠る。それまで男性にしか許されなかった「自由」を勝ち取った、行動する女性だったのです。

1882年、シグネはスウェーデン南部のスモーランド地方に生まれました。森と湖の美しい地域です。ちなみに、「長靴下のピッピ」の作者アストリッド・リンドグレンの出身地も、北欧インテリアIKEA発祥の地も、このスモーランドです。
ストックホルムで教職に就くものの美術への夢を諦めきれず、奨学金を得てパリに留学。フィンランドから留学中のヴィクトル・ヤンソンと出会い、結婚しました。

ヘルシンキで家庭を築いてからのシグネは、切手や紙幣、本の作画など定収を得られる仕事に携わり、彫刻家の夫と3人の子どもたちを支える役割に徹します。「純粋芸術」に比べて商業的な「応用芸術」は軽く見られ、女性の社会進出も程遠い時代でしたが、その仕事ぶりから売れっ子になったシグネ。一方、フィンランド内戦従軍後に心を病んだヴィクトルを、そっと見守るしかない辛い時期もありました。

シグネが描いた切手。トーベはシグネの仕事から線画のタッチを学んだ。撮影/横川浩子

ヤンソン一家の子育て

トーベがヘルシンキで産声を上げたのは1914年8月9日。両親に愛され伸びやかに成長し、歩くより描くことを先に覚えたと言われるほど絵が好きになります。しかし戦況が悪化して母子は一時期ストックホルムの実家に疎開。シグネは幼いトーベの成長ぶりを写真に添えて夫に送り、平和を待ち望みました。

父ヴィクトルも母シグネも、子どもたちが想像力と自立心を育みながら成長することを大切に、トーベと二人の弟を育てました。ヴィクトルの彫刻が完成すると家族が自由に感想を言い合える時間を持ったこともそのひとつ。トーベは子どもの意見が尊重されることが誇らしかったと回想しています。

ヤンソン一家はみんな本が大好きでした。弟たちが生まれるまで母親を独占できたトーベは、シグネから毎晩絵本を読んでもらっていました。シグネの優しい声がゆったりと響くひとときを、ぴったり寄り添う母親の体温と共にトーベは生涯忘れませんでした。

森で遊びながらシグネは子どもたちに、アリ塚の様子から東西南北を知る術を教えました。トーベの上の弟ペル・ウロフにライフル射撃の手ほどきをしたのは、従軍体験のあるヴィクトルではなく、少女のころに射撃大会で優勝していたシグネでした。

ヘルシンキのエスプラナーディ公園にあるヴィクトル制作の噴水彫刻。 撮影/横川浩子

ムーミンのルーツは夏を過ごしたフィンランド湾の群島地域

一家は夏になるとヘルシンキを離れ、フィンランド湾の群島地域で過ごしました。3万もの島が点在する群島地域にある、ペッリンゲ。ペル・ウロフと姉弟げんかをしたトーベが、ムーミンの原型とされる鼻の長い生き物を落書きしたのは、このペッリンゲのサマーハウスでした。落書きのそばには「自由が最もすばらしい」と書き添えていた少女のトーベが、50代半ばにムーミンシリーズ最終巻『ムーミン谷の十一月』を書き上げたのもこの地です。

彫刻家のヴィクトルはいわば自由業のため、夏のあいだじゅう三人の子どもと島に滞在しましたが、多忙なシグネはヘルシンキの自宅で絵やデザインの仕事に専念します。ようやく週末になると食料や生活用品を携えて、一家の島まで自らボートを漕いでやってきました。

夏の群島地域のおだやかな夕暮れ。撮影/Kayo Isomura

ヤンソン一家の大黒柱

ムーミンコミックスの連載で疲弊しきったトーベに、下の弟ラルスをサポート役として促し、窮地を救ったのはシグネの采配でした。

『少女ソフィアの夏』の執筆も、シグネの助言がきっかけでした。でもシグネは本の完成を待たずに88歳で永眠。トーベは悲しみのあまり、しばらく話すことができなかったそうです。

ヘルシンキのアトリエ兼自宅で生前のトーベから、ガールスカウト姿の若きシグネの写真を見せてもらったとき、スカウト設立までは頑張ったけれど軌道に乗ったら関心を失ってしまった。もはや前例のない「冒険」ではなくなったと言って──。母はそういう人だったと、静かに笑って話してくれました。

晩年までトーベのよき相談相手だったシグネ。ヤンソンファミリーにおいてはシグネこそ、経済的にも精神的にも一家の支えだったのかもしれません。

北欧の厳しく美しい自然と自立心を尊重する社会。シグネからトーベへ、そしてムーミンへとつながるその本質を、このたび新版として刊行された小説『少女ソフィアの夏』で辿ってみませんか?

なつかない上に、成長して獲物を捕ってくるようになった猫と、ソフィアのやりとりが微笑ましい名作『猫』。「マッペは島とおなじ、くすんだとび色をしていた。岩とおなじしましまや、海中の砂地できらきらゆらめく日の光のようなまだらなど、いろんな模様の毛並みをしていた。浜の草原を足音もなくこえていく動きといったら、まるで、野原を吹きぬける風のひと吹きみたいだった」『少女ソフィアの夏 新版』
『少女ソフィアの夏 新版』 トーベ・ヤンソン/著 渡部翠/訳 講談社©Tove Jansson
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よこかわ ひろこ

横川 浩子

Hiroko Yokokawa
編集者

絵本、童話、YA小説、ノンフィクション、翻訳文学、図鑑など、幅広い児童書を担当。展覧会構成と図録編集などにも携わる。アイコンのフクロウ原画は担当画家ミヒャエル・ゾーヴァ氏からのプレゼント。

絵本、童話、YA小説、ノンフィクション、翻訳文学、図鑑など、幅広い児童書を担当。展覧会構成と図録編集などにも携わる。アイコンのフクロウ原画は担当画家ミヒャエル・ゾーヴァ氏からのプレゼント。