ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって、ひと月半以上がたちましたが、停戦合意に至りません。(2022年4月現在)
「21世紀に戦争が起こるなんて……」さまざまな国の、さまざまな世代から、こうした声が聞こえてきます。
ひるがえって、遠く離れた日本で暮らす私たちにとって、ウクライナで起きている「戦争」は、他人事と言えるでしょうか。
原油や小麦が値上がりして物価が高くなるから無関係ではないという答えもあるでしょう。ロシア、ウクライナに家族や友人がいるから無関係ではないという答えもあるでしょう。
新聞記者として30年以上を防衛省の取材に費やし、現在も防衛ジャーナリストとして活躍している半田滋さんは、日本でも、すでに戦争へと向かう足音は聞こえてきているのだと言います。
半田さんは、実在する「ナッチャンワールド」という高速フェリーを題材に、日本も戦争の準備を進めていることを伝えるノンフィクション書籍を刊行しました。対象とする読者は、小学校高学年以上の若い世代です。
防衛ジャーナリストだからこそ見逃さなかった、日本でも聞こえる「軍靴の音」を伝えてもらいます。
多くの子どもが犠牲に…ウクライナの現状
「さよなら、また明日ね」
そう約束して別れた友だちと会えなくなったら寂しくないですか?
みんなといっしょに勉強したり、遊んだりした学校が、次の日に跡形もなく消えてしまったとしたら、明日からどこへ通えばよいのでしょうか?
ロシアによる隣国のウクライナヘの軍事侵攻は、そんな恐ろしい未来を現実のものにしました。ロシアに近い東部のマリウポリでは、ミサイルや砲撃によって住民が避難していた建物が破壊され、大勢の犠牲者が出ています。
ウクライナ政府は、ロシア軍の攻撃によって3月30日までに143人の子どもが亡くなったと発表しています。216人がけがをしているそうです。この中にはマリウポリの子どもは含まれていません。大人も含めて何千人もの人々が犠牲になっている可能性が高いのです。
中世から栄えたウクライナの美しい首都キーウは、第二次世界大戦のドイツとソ連(当時)との戦いで目茶苦茶に壊され、やっと再建が終えたところでした。そのキーウも再び、戦火にまみれました。
ウクライナ全土から地続きの隣国ポーランドやルーマニアに逃げた人は400万人以上。8000キロも離れた日本へも避難してきた人たちがいます。いったい、いつまたウクライナに帰れるのかだれもわからず、不安な毎日を送っています。
太平洋戦争で310万人が死亡、日本が焼け野原に
戦争は平和な日常をぶち壊し、私たちの生命を奪う恐ろしい野蛮な争いごとなのです。
でも、それは人が引き起こすものです。ですから、人の力で止めることができるし、それ以前に戦争をしないという約束をすることだってできるはずです。
私たちの国、日本は、80年ほど前、アメリカやイギリスに戦争をしかけました。太平洋戦争と呼ばれています。最初のころこそ、日本にとって有利な戦況と言えましたが、工業力の違いなどから、たちまちのうちに形勢は不利になり、爆撃機が落とした爆弾によって日本の多くの都市が焼け野原になりました。
亡くなったのは兵士だけではありません。一般の人たちも、大勢が犠牲になりました。日本全体で310万人もの人が亡くなったといわれています。
兵士の数を増やそうとして、赤い紙だったので俗にアカガミと呼ばれる召集令状によって、意思に反して強制的に軍隊に入れられ、戦地から二度と戻ってこられなかった人は少なくありません。
国内に残った女性や子どもたちは戦闘機や銃弾をつくる工場で働かされました。そうした工場は爆撃の標的にされ、戦場には行かず国内に残った人たちも命を落とす結果になったのです。
戦争で犠牲になった「自由」と「平和」
政府は市民に対して、「すべては戦争に勝つため」という名目で国に従うよう強制しました。家中の金属類は鍋や釜に至るまで、国に差し出すことを強要されましたし、「防空演習」といって爆弾が落ちてきたときに安全に逃げられるようにする訓練にも参加させられました。物心両面で国に従うよう求められたのです。
「自分は戦争することに反対だから、国に協力しない」。そんなことを口にした人は、大変な目にあうことになります。
戦争のさなかには、互いが互いの言動を監視し、もしも、戦争をすすめる国家への不満と受け取れる発言があれば、そのことは国に告げ口されました。不満や反対を口にした人々の中には、特高警察に連行されて拷問を受けた人も、さらにはそれにより命を落とした人だっています。
プーチン大統領は「独裁者」であり、自分たちとは違う価値観のもとで生きていると考えている人も多いことでしょう。しかし、太平洋戦争のころの日本では、今を生きる私たちが当たり前と思っている、だれにも干渉されることのない自由な生活はありませんでした。
だからこそ私たちの祖先は、太平洋戦争に敗けた後、二度と戦争はしないと誓って日本という国にとって大切な約束事である日本国憲法をさだめたのです。
日本国憲法と自衛隊
日本国憲法には、国のあり方は国民の総意によって決められ、すべての人が自分らしく生きられるよう健康で文化的な生活を送ることができる。そして悲惨な戦争は二度と繰り返さない――そんな約束事が書かれています。平和で安心できる生活が約束されているのが今の日本なのです。
しかし、本当にそうかな? と思わされる悲しい出来事があるのも事実です。学校でいじめにあって自らの命を絶ってしまう子どもは後を絶ちませんし、親に虐待され、命を落とす子どもも少なくありません。
そして、戦争はしないと誓ったはずなのに、自衛隊があり、毎年たくさんの予算を使って武器を買い、戦争を想定した訓練をしています。政治家たちは「自衛隊は外国から侵略を受けないようにするため、戦争にならないために存在する」と言います。
これは本当のことでしょうか? 本当であれば、安心なはずですね。
戦争に巻き込まれないようにするには?
でも、考えてみますと、ウクライナにも軍隊があり、訓練もしていました。それでもロシア軍に攻め込まれました。
では、戦争に巻き込まれないようにするためには、どうするのが一番なのでしょうか。
よその国がびっくりするような強い武器を持つことでしょうか? 軍隊の人数を何倍にも増やすことでしょうか? 強そうな国と親しくなって、その国の軍隊にも守ってもらうことでしょうか?
しかし、軍隊が戦争を起こすのだとすれば、軍隊がないことが一番の安心材料ではないでしょうか。
「それは難しい」
「それでも不安だ」
そう考えるなら、まわりの国々と仲良くなって、その国の軍隊が攻めてくることなど考えられないほど親しい友だちになればよいのではないでしょうか。
防衛省で軍事にまつわるさまざまなことを30年以上取材してきた私は、甘いと言われようが、人が引き起こす戦争は、人の知恵によってかならず避けることができる――そう思うのです。
ナッチャンという船を知っていますか?
北海道函館市の港には、「ナッチャンワールド」という高速フェリーがとめ置かれています。
白い船体の横には、子どもたちや魚、恐竜、宇宙人などのカラフルなイラストが描かれています。なつみちゃんという小学2年生の女の子が描いたイラストが採用されたのです。
ナッチャンは、津軽海峡を隔てた青森市との間を結ぶ船でした。「でした」というのは、働き始めてすぐに、燃料の価格が高くなったり、お客さんの数が減ったりして、定期便としての仕事が終わりになってしまったからです。
その後、ナッチャンは、防衛省、つまり自衛隊を管理する役所との契約により、自衛隊を九州や沖縄の訓練場へと運ぶようになりました。戦車や装甲車、たくさんの銃や銃弾が積み込まれます。
時折、イベントに駆り出され、定期便のときと同じように乗客を運ぶこともありますが、ふだんは迷彩服を着た自衛隊員を乗せるのが仕事になっています。平和そのもののイラストが描かれたそのままの姿で戦車や迷彩服姿の自衛隊員を運んでいるのです。
白い色は目立つし、船体に描かれたイラストはさらに人目を引きます。防衛省がナッチャンを軍艦のような灰色に塗り替えないのは、戦場にまで連れて行く計画がないからなのか――はっきりしたことはわかりません。
病院船になる夢
私は、このナッチャンという船の人生、いや船だから"船生"でしょうか、それを考えたとき、まさに、太平洋戦争の最中に、「すべては戦争に勝つため」という名目で人々の自由が奪われた時代を連想しました。
ナッチャンにしてみれば、平和そのものの観光フェリーとして生まれ、笑顔のお客さんを乗せて海の上を走っていたのに、突如として「戦争の準備をするための船」になってしまったのです。
私は、ナッチャンという船がどういう道筋をたどって、自衛隊の船になったのかを、『戦争と平和の船、ナッチャン』という本にまとめました。
本の中ではナッチャンを擬人化して、ナッチャンに思いの丈を話してもらっていますが、このセリフこそ、ナッチャンの偽らざる本音ではないでしょうか。
「私は軍艦ではありません、普通の船なのです。攻撃を受ければたちまち沈んでしまい、私の”船生“が終わってしまうでしょう。訓練で自衛隊のみなさんを運ぶことまではやりますが、戦場に駆り出されるのはまっぴらごめんです」
そんなナッチャンには夢があります。
みなさんは「病院船」を知っていますか?
大きな事故や災害が起きたとき、海からかけつけて、大きな船が丸ごと病院になってしまうというものです。
日本は、病院船を持っていません。しかし、東日本大震災で病院を含む多くの建物が壊れてしまったとき、そして新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増え、現在ある病院だけで患者に対応できるのか不安に陥っている今、「日本にも病院船が必要だ」という声があがりました。
今まさに、政府は病院船を持つことを検討しているのです。「病院船になれたら…」。それがナッチャンの夢です。
日本は今、お隣の中国との関係がぎくしゃくしています。太平洋戦争の時とは一転して仲がよくなったアメリカは、その中国をライバル視しています。アメリカと中国との間の緊張は高まるばかり。安心できる材料は何ひとつありません。
けっして戦争なんて起きてほしくありません。
二度と戦争はしないと約束した日本は仲介役になって、たくさんの国を巻き込んだ話し合いの場をつくり、アメリカと中国の関係を少しでもよくする努力をするべきではないでしょうか。
「戦争の船」ではなく、「平和の船」になりたいナッチャンだったら、きっと今、そう考えていると思うのです。 (了)
【半田滋(はんだしげる)プロフィール】
1955年生まれ。防衛ジャーナリスト。下野新聞社を経て、91年に中日新聞社入社、元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。92年より防衛庁(現・防衛省)取材を担当。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。
著書に『変貌する日本の安全保障』(弓立社)、『安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊―新防衛大綱・中期防がもたらすもの』(あけび書房)、『検証 自衛隊・南スーダンPKO-融解するシビリアン・コントロール』(岩波書店)、『零戦パイロットからの遺言―原田要が空から見た戦争』(講談社)、『日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書)、『僕たちの国の自衛隊に21の質問』(講談社)、『「戦地」派遣 変わる自衛隊』(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞、『自衛隊vs.北朝鮮』(新潮新書)などがある。
半田 滋
1955年生まれ。防衛ジャーナリスト。下野新聞社を経て、91年中日新聞社入社、元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。92年より防衛庁取材を担当。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。 著書に『変貌する日本の安全保障』(弓立社)、『安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊―新防衛大綱・中期防がもたらすもの』(あけび書房)、『検証 自衛隊・南スーダンPKO-融解するシビリアン・コントロール』(岩波書店)、『零戦パイロットからの遺言-原田要が空から見た戦争』(講談社)、『日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書)、『僕たちの国の自衛隊に21の質問』(講談社)、『「戦地」派遣 変わる自衛隊』(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞、『自衛隊vs.北朝鮮』(新潮新書)などがある。
1955年生まれ。防衛ジャーナリスト。下野新聞社を経て、91年中日新聞社入社、元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。92年より防衛庁取材を担当。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。 著書に『変貌する日本の安全保障』(弓立社)、『安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊―新防衛大綱・中期防がもたらすもの』(あけび書房)、『検証 自衛隊・南スーダンPKO-融解するシビリアン・コントロール』(岩波書店)、『零戦パイロットからの遺言-原田要が空から見た戦争』(講談社)、『日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書)、『僕たちの国の自衛隊に21の質問』(講談社)、『「戦地」派遣 変わる自衛隊』(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞、『自衛隊vs.北朝鮮』(新潮新書)などがある。