手がかりをつないでいった先にあった、運命の再会
居ても立っても居られなくなったのか、ヘンリーさんはアメリカ・アリゾナ州フェニックスのホロコースト協会に直接コンタクトを取って、ヴェルナーさんの消息を調べていたのだ。
協会からの返信によると、ヴェルナーは確かに健在らしい。そのわずか数時間後、さらなるメールがヘンリーさんから届いた。「Masato, look at this!」と書かれたその下に、別のあるメールが添付されていた。
ヘインツ/ヘンリーさん……
ご連絡をいただいたヴェルナー・ザリンガーです。フェニックス・ホロコースト協会の元会長があなたのメッセージを転送してくれました。
はい、私は1939年1月12日に両親と共にベルリンを離れ(母は到着の10ヵ月後、結核で亡くなりました)、イギリスで6~7週間を過ごしました。
そこからあなたに送ったポストカードを、長年保管してくださっていたとは! 現在はマサチューセッツ州ベッドフォードのボストン近郊に住んでおり、あなたの住まいの場所を知りたいです。じっくりお話しできる日を楽しみにしています。
上記のことが立て続けに起きた今年5月31日、私は興奮してなかなか寝付けなかった。ほどなくして、ヘンリーさんとヴェルナーさんはオンライン上で「再会」を果たした。
2人がほぼ同時に生まれ故郷のベルリンを去ってから、86年以上もの歳月が経過していた。ヘンリーさんによると、Zoomでのセッションは1時間半におよび、家族全員が大興奮しているという。
\後編はこちらから/
戦争当時、ヴェルナーさんがどのようにベルリンを離れたのか? 本書監修者の中村さんが実際に伺った話を寄稿いただきました!
※11月11日より有効リンク
『おとうさんのポストカード』
第二次世界大戦直前、ドイツでのユダヤ人への迫害が過激化し、状況が緊迫するなか、多くのユダヤ人が子どもだけでも国外へ脱出させたいと願いました。多くの国が門戸を閉ざすなか、イギリスが子どもに限り入国を許可し、後に1万人ものユダヤ人の子どもを救ったのが「いのちの列車」でした。
戦後80年となった2025年、この「いのちの列車」によってホロコーストを生き延びた少年・ヘンリーとその父・マックスの実話に基づいた物語『おとうさんのポストカード』が刊行されました。迫害から逃れるため、「いのちの列車」に乗り一人イギリスへ渡ったヘンリー。幼い彼の心の支えになったのは、お父さんからのポストカードでした。
本書では、戦争当時のヘンリーと家族を取り巻く緊迫した状況とともに、実際に送られたポストカードの写真とそこに記された数多くのメッセージから、父から子への深い愛情と平和の尊さを伝えています。
戦後80年のいま、触れてほしい一冊となっています。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

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中村 真人
1975年横須賀市生まれ。10代のころからベルリン・フィルに憧れ、早稲田大学在学中は交響楽団に所属。2000年にベルリンに移住し、現在はフリーライターとしてクラシック音楽や歴史、戦争と記憶の継承などについて執筆している。著作に『明子のピアノ 被爆をこえて奏で継ぐ』(岩波ブックレット)、『ベルリンガイドブック』(地球の歩き方)など。これまで雑誌「世界」(岩波書店)にキンダートランスポート、アウシュヴィッツの焼却炉などのテーマで寄稿。(写真:Shinji Minegishi)
1975年横須賀市生まれ。10代のころからベルリン・フィルに憧れ、早稲田大学在学中は交響楽団に所属。2000年にベルリンに移住し、現在はフリーライターとしてクラシック音楽や歴史、戦争と記憶の継承などについて執筆している。著作に『明子のピアノ 被爆をこえて奏で継ぐ』(岩波ブックレット)、『ベルリンガイドブック』(地球の歩き方)など。これまで雑誌「世界」(岩波書店)にキンダートランスポート、アウシュヴィッツの焼却炉などのテーマで寄稿。(写真:Shinji Minegishi)