Jリーガーに母親は大反対! 臆病な少年が世界フィールドに立てた理由 元日本代表・鈴木啓太

元Jリーガー・鈴木啓太さんのアスリート人生から学ぶ子育てのヒント

Jリーガーに大反対の母を振り切り浦和レッズへ 自分の人生に責任を持つということ

高校卒業後はプロの世界へ行くことしか考えていませんでしたが、そのころは「大学くらいは出ていないと……」という風潮のある時代。今まで応援してくれていた母も、「成功するかどうか分からないのに。本当にプロに行くつもりなの?」と、私がプロに上がることは大反対しました。当時のプロサッカー選手の平均引退年齢は26歳、やれても30歳までと言われていて、平均で6~7年しかプレイできなかったのです。キャリアが「高卒」で終わってしまったら、じゃあその後はどうするの、という。

今となれば母の言ったことは、全然間違っていないと思います。私のことをいちばん考えて、いちばん大切に思ってくれている人がそう言ってくれるのですから。父も当然心配する気持ちもあったとは思いますが、「好きな人生を歩めば良い」という感じでした。両親は私を応援したい気持ちと心配な気持ちで葛藤していたと思います。

でも当時の私は母に対して「何を言ってるんだろう」って思っていました。プロサッカー選手は実力だけではなれず、運と巡り合わせ、あとはそのチャンスを摑むために、どれだけ努力をしたかということが必要になってきます。そんな厳しい世界なので、「誰もが摑めないチャンスがある中で、僕はチャレンジして絶対に成功するんだ。それ以外考えられない」という気持ちでした。周りからの反対があったとしても、結局は自分の人生は自分で決めるしかない。「反対」を乗り越えていくことは、自分の人生の責任を持つということだと思います。私には「サッカー選手になる」という目標が明確にあったので、早く決断できたのだと思います。

高校時代に書いた「人生設計」は30歳まで 次のキャリアを考える日々

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先ほど平均引退年齢が26歳というお話をしましたが、そういうこともあり高校1年生ぐらいのときに書いた「人生設計」は30歳ぐらいまでしか書いていません。引退したあとの自分の人生はどうなってしまうんだろう……と、漠然とした不安を感じ始めたのは20歳ぐらいのときでした。

現役引退後は指導や育成、サッカークラブに関わるのか。それともサッカー以外のことをやるのか。いろんな人から「こういう仕事があるんだよ」と教えてもらう中で、サッカー界やスポーツの発展に繫げるために、エンターテインメントとして広く認知してもらいたい、と考えていくようになりました。でも20歳というとまだまだプロとして成長しなきゃいけないときで、ほかのビジネスのことなんて当然、全く考えていなかったです。

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