子ども2人が不登校に! 「離島移住後にコロナ禍」 めまいを訴える子とママの不安な日々

離島で子どもが不登校! 3児ママの“不登校”奮闘記#1~離島移住まで~

ライター:まちだ 結衣

離島の家では自転車で10分行けばビーチ。海も緑も生き物も島中にいっぱいで、子どもたちの格好の遊び場だった。  写真提供:まちだ 結衣

自然豊かな環境で子育てをする「教育移住」が注目される昨今、ライター・まちだ結衣さんは首都圏から子ども3人と家族5人で沖縄の離島へ移り住みました。

首都圏の小学校では不登校がちになった長男が、離島の小学校にはすぐ馴染み登校。新入生の次男、3歳の長女ともに自然の中で遊ぶ毎日。友達にも恵まれ学校を大満喫していた……はずが、コロナの休校明けから2人とも「学校に行きたくない」と言いだしました。

今や社会問題とされている不登校は、どんな地でも起こり得るもの。離島で不登校に向き合った3児ママが奮闘した日々を綴ります。

●1回目/全4回

3人の子どもが学校に行ったり行かなかったり

中1長男、小5次男、小2長女(2024年3月現在)の子育てをしながら、フリーランスのライターをしています。仕事と家庭でドタバタの毎日。

小学校で3人とも不登校になりました。下の子2人は今も学校に行っておらず、週に2回のフリースクールと、あとは家で過ごしています。

今は首都圏在住ですが、2023年の春までは沖縄の離島で約4年暮らしていました。夫の仕事の都合で家族全員一緒に移住したのです。

縁もゆかりもない地で始めた離島暮らしでしたが、友達も先生も、地域の中での関係も良好。暖かな気候に美しい自然、人々にも恵まれた島での日々。観光地としても大人気の島で、最近聞く“教育移住”や“離島留学”に近い暮らしだったと思います。

それでも子どもたちは「学校に行かない」選択をしました。この話を周りの人にしたところ、「どうして?」「離島と不登校は無縁に見えるのに」「3人とも!? 大変でしょう」など、驚きの言葉をもらうことも多々。

最近でこそ、ほぼ明るい不登校ライフ(ホームスクールとも呼んでいます)を送っていますが、ここまで紆余曲折がありました。……いや、今も毎日の生活にテンパっていますが。

そんな我が家の日々の過ごし方や、この考えに至るまでを紹介していきます。

長男・小2の春に初めての登校しぶり〔2018年・神奈川〕

「お母さん、おなかがいたい」

2018年の春、長男が小学2年生になったころ、朝になると腹痛や頭痛を訴えるようになりました。

わが家はいわゆる転勤族で、今、中1の長男が小学生に入学したころは、神奈川県在住。緑が多く蛍が見える里山も近い、のどかなエリアでした。

長男の訴えをはじめは単なる体調不良だと思っていました。でも、学校を休む連絡をするとケロッとしている。気づけば1週間ほど休みが続きました。

「もしやこれは“登校しぶり”というやつでは……?」自分の子が、学校に行かなくなるなんて!? 背中に氷を入れられたような、ヒヤリとした感覚になったことを覚えています。

長男は、赤ちゃんのころから比較的穏やかで育てやすいタイプ。人懐っこく、幼稚園時代に転勤で転園したときも、小学校に入学してからも毎日楽しそうに通っていました。加えて、私も夫も学校生活をそれなりに楽しんでいたほうで、教育学部へ進学し、小学校教諭の免許を持っています。

自分の子も、学校で嫌なことはあるかもしれないけど楽しめるだろうと、楽天的に考えていました。そんな背景もあり、2年生で不登校になるとはまさか予想だにしていなかったのです。

周囲とコミュニケーションをとり再び通学

「今日は行くの?」「なんで行きたくないの?」「何か嫌なことがあったの?」

長男にいろいろな質問を投げかけるも、「ちょっと先生が怖いんだよ」「教室はうるさいから……」など、そのときによってくるくると答えが変わります。いまいち要領を得ない。次第に「学校をやめたい」とまで言うようになりました。

今なら不登校の原因は複合的で、理由探しをしてもあまり意味がないと知っています。けれど、そのときは必死でした。

どうしたらいいかわからないながらも、担任と連絡帳や電話で家と学校での様子をやりとりし、スクールカウンセラーとも面談しながら、長男の様子を見ていました。

このころは朝は嫌がっても私が一緒に通学すると学校で過ごすことができたので、しょっちゅう一緒に登校していました。当時、下の子は年長と2歳。夫の出勤時間は朝早く、私1人で子ども3人連れて学校と幼稚園をはしごしていたので、なかなか大変です。

一方で、私たちと同じように毎朝一緒に登校する親子も見かけて、「思っていたよりも登校をしぶる子は多いんだな」と知りました。内心エールを送る日々。

長男は学校から帰ってくると笑顔でした。でもかたくなに「行きたくない!」と泣いて訴えて休む日も。

「子どもの主体性を尊重したいと思っていたのになあ」「行きたくないと言う子を無理やり連れていってもいいのか」「保育園だと子どもが泣いても預けることはある。低学年は、多少強引に連れていってもいいのでは?」

いろいろな考えが浮かんでは消え、揺らぐ日々でした。休むこと、励ましながら登校を促すこと、どちらがその子にとっていいのか、正解なんてないと今は思えるのですが。

当時(2018年)は今ほど不登校の相談先や情報が多くありませんでした。「親の接し方で子どもは変わる」「年相応の自立ができていないと学校に適応できない」と厳しい指摘をする本も多く、落ち込むことも。

不登校専門のカウンセラーへ相談に行ってみましたが我が家の状況を伝えると、「何も問題がないんだけどねえ」「両親の理解がありすぎる(と、学校に行かなくなる)」と言われ、さらに迷ってしまうことに。

そのころは【不登校は家庭に問題がある】という考え方がまだまだ根深かったのかもしれません。

結局、小2の1学期は、「無理じいしないスタンスにしましょう」と先生と話して、休むか、私が送って登校かで過ごし、夏休みへ突入。毎日学校を気にせず、遊んで過ごせる夏休みってなんて気持ちがラクなんだ! と心から楽しむも、頭の片隅には「2学期もまた行きたがらなかったらどうしよう」とよぎります。

そして、2学期初日。

ふだんどおりに朝の支度をしながら、「おなか痛いとか休みたいとか言われるのかなあ」と内心ドキドキしていたところ、何ごともなく、登校班に加わって登校したのです。1学期はなんだったのか……? と、戸惑うほど。

先生ともいつの間にかずいぶんと親しくなり、家に帰ってくると「今日は先生と◯くんとこんなことしたよ」など、話すように。

登校できるようになり安堵すると同時に「学校に毎日通えることは当たり前ではないんだな」と実感した初めての出来事でした。

登校しぶり期間、「好きなことを思いきりしよう!」と、長男と休みの日に2人きりで電車めぐりをしたこともあった。3人の子どもがいるから、2人きりの時間は貴重。  写真提供:まちだ 結衣

転勤で離島へ引っ越すことに

フリースクールや少人数制のオルタナティブスクールなど、公立小学校以外の居場所についても調べていました。たまたま、テレビで新潟県粟島での「離島留学」を見かけて、私の友人で山村留学に1年行った子がいたことを思い出しました。

「こういうの、今もあるんだなあ」

と、選択肢の一つとして頭の片隅にインプット。ちょうどそんなときに、夫の異動先として「沖縄の離島」が浮上したのです。

「離島に異動希望出してみようかと思うんだけどどうかな」

夫から相談されて驚くも「沖縄の離島での生活はなかなか経験できることじゃないな」と、新しいことへの好奇心がむくむく。異動希望は無事通り、離島への転勤が決まりました。

もちろん、不安要素はなかったわけではありません。でも、個人的には新しい土地で暮らして過ごすことで、価値観が広がる感じが好きでした。

転勤が決まったころ、小説家の宮下奈都さんが家族5人で北海道のトムラウシへ1年間山村留学をしたエピソードを綴ったエッセイ『神さまたちの遊ぶ庭』(光文社)を読みました。トムラウシの学校は、小中学校合わせて10名! 人数が少ないからこそ一人ひとりの個性が際立ち、それぞれの役割を全うする子どもたちの姿や、たくましく生きる大人たちの姿に大いに励まされました。

長男小3転校&次男小1入学 離島の小学校へ〔2019年・沖縄〕

移住先の離島には、小中学校が1校だけ。小中合わせておよそ30名ほどの子どもたちが過ごしています。

引っ越し前に下見に行ったところ、人懐っこい子どもたちが集まってきて「名前なんていうの?」「来てくれたらうれしいなあ」とこちらが圧倒されるほど、一斉に話しかけてくれました。

さらに、案内してくれた先生が子どもたち一人ひとりのことを親戚の子を語るかのようにていねいに話してくれて、人数が少ないからそれぞれの子のことをよく理解してくれていることがうかがえます。

みんなで食べるランチルームでのおいしい給食、校庭には色とりどりの南国の植物が咲き、見たことないほど鮮やかな蝶が飛んでいます。

私もワクワクしましたが、それ以上に子どもたちは大喜び。すぐに「ここに通いたい!」と言ってくれ、正式に引っ越すことを決めました。

長男は小3、次男は小1で島の小学校に転入・入学しました。

そこからは学校生活と離島での暮らしを満喫し、放課後は友達と自由に家を行き来。夕方に海へ行くとまた別の友達にも会えます。島の伝統行事、もずく取りやビーチクリーン活動など離島ならではの体験活動も盛んです。3歳の長女も、地域のみなさんにあたたかく見守ってもらっていました。

学校が少人数のおかげか、委員会活動や発表をする機会も生徒全員にたくさんあります。長男の算数の授業参観を見たとき、一人ひとりが解き方を黒板に書いて、どう考えたのかを発表していて、神奈川の小学校で見た1クラス30名弱の授業とは全く違う、個々に寄り添ったやり方に驚きました。(これはきっと子どものためになる、引っ越してよかったなあ)と改めてうれしくなりました。

次男が描いた、島にいる「牛」の絵。子どもたちの絵もダイナミックになった。  写真提供:まちだ 結衣
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