不登校の子どもたち 1980年代から2000人に寄り添った専門家が説く「根本原因」と将来の姿

シリーズ「不登校のキミとその親へ」#7‐4 認定NPO法人「フリースペースたまりば」理事長・西野博之さん~不登校を巡る変化~

認定NPO法人「フリースペースたまりば」理事長:西野 博之

2024年8月に川崎市で開催された第72回日本PTA全国研究大会では、西野博之さんが 基調講演に立ち、自己肯定感をはぐくむ居場所の大切さなどを訴えた。  写真:認定NPO法人「フリースペースたまりば」
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1980年代からさまざまな形で不登校の子どもを2000人近くサポートしてきた認定NPO法人「フリースペースたまりば」理事長の西野博之さん。

不登校30万人時代の今こそ、「制度疲労を起こしている日本の教育システムの変革期だ」と西野さんは語ります。約150年前に生まれた現行の学校教育制度が、時代に取り残されている、という指摘です。

一方で、不登校をめぐる社会の空気は時代とともに大きく変化してきました。40年近く、不登校の子どもたちに寄り添いながら、西野さんはその変化を目の当たりにしてきました。

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西野博之(にしの・ひろゆき)PROFILE
認定NPO法人フリースペースたまりば理事長。川崎市子ども夢パーク、フリースペースえんなど、各事業の総合アドバイザー。1986年より学校に行かない子どもや若者の居場所づくりを行う。文部科学省「フリースクール等に関する検討会議」委員などの公職も歴任。

不登校に厳しかった40年前 街で補導も

僕が学校に行けない子どもたちと関わって40年ほどたちます。この40年の間に、不登校をとりまく社会の環境は大きく変わりました。もちろんまだまだ課題はたくさんありますが、喜ばしい変化も確かにありました。

その変化を伝えるために、まずは経験談からお伝えしましょう。

僕が不登校の子どもたちの居場所「たまりば」を、川崎市のタマリバー(多摩川)に近いアパートの一室で始めたのは、1991年のことでした。当時は不登校に対する社会の視線は今よりもずっと冷たく、厳しいものでした。

まず不動産を借りるにしても、使い道を聞かれて「学校に行けない子どもたちの居場所をつくる」と話すと、「地価が下がる」「近所から苦情が出る」などと断られ、なかなか貸してくれる大家さんに出会えませんでした。

学校に行けない子どもが電車に乗って僕たちの居場所に来ようとすると、当時は改札が自動ではなくて駅員さんが立っていたので、学校に行っているはずの子どもが電車に乗っていることを駅員が不審に思い、補導されてしまうような時代でした。

警察官に事情を聞かれた子どもが怖い思いをしながらも、何とか行き先の電話番号を答えてくれて、電話を受けた僕が警察官に「その子は僕たちのところに来る途中なので、改札を通してあげてください」と説明をしても、「子どもは学校に行ってる時間だ。そんなことが許されるわけがない」と聞いてもらえず、たびたび駅まで子どもを迎えに行きました。

当時はそんな具合で、学校に行かないことが社会に全く容認されなかったから、子どもたちは「学校に行けない自分はダメな人間なんだ」と追い詰められ、本当に苦しんでいました。

フリースペース「えん」では、過ごし方や時間の使い方は子どもが自分で決める。パソコンに夢中な子どもたちと、笑顔の西野さん。  写真:浜田奈美

「子どもが望む形での社会的な自立」法が保障

そんな苦しい時代から始まりましたが、少しずつ、社会は変わってきました。

まず、学校に通えない子どもたちの居場所であるフリースクールが全国にひろがりました。そして当事者である子どもや家族、僕たちのような支援者が社会や国に対して、不登校に関する正しい理解を求め、学校以外の居場所の重要性について、声を上げ続けました。

2017年には「教育機会確保法」が施行され、この法律に基づく国の姿勢として、不登校の子どもへの支援は学校に登校することだけを目的とせず、子どもが望む形で社会的に自立することを目指すことを明示しました。

国のこの姿勢を受けて、自治体としても居場所を兼ねた支援センターを作ったり、民間のフリースクールに業務委託したりと、「居場所」に対する積極的な支援へと、舵を切りました。

また2023年には文部科学省が、「COCOLOプラン」という不登校対策を打ち出しました。プランの一つに、「学びの多様化学校の全国300校設置」があります。不登校の子ども向けにカリキュラムを特別編成した学校を、現在の35校から大幅に増やす目標を掲げました。

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