空想と現実が溶け合って
「この景色、知っている」
自分の記憶を丁寧にたどっていくと、かすかに浮かび上がってくる断片的な光景。それは目の前に広がる絵本の中の場面と同じような、少し違うような。だけれども、確かにここを知っている。思い返せば、おそらく3歳の頃に読んだ絵本。
もっと後だったかもしれないが、この年齢になってくると、出会った絵本の記憶がこうして少しずつ自分の中に残っていく。そして実際の絵の印象と大きく違っていたり、一部分だけを突出して記憶していたりする。この現象こそ「3歳と絵本の関わり方の面白さ」とつながってくるのである。
それでもよく観察していると、話しかけられていることにしっかりと反応し、返事をしようとしているのがわかる。絵本を読んでもらっていても、うなずいたり、目線があちらこちらに動いていたりして、お話を理解している様子が見てとれる。そして、絵本にとって重要なポイントがここにある。
彼らは目の前に広げられた絵に集中し、聞こえてくる言葉に耳を傾け、その響きや物語を堪能する。まだ文字を気にすることはないだろう。つまり、絵本の中の世界にしっかりと没頭することができるのである。
文字に捉われていないからこそ、自由に絵の中を歩き回り、あるいは迷い込み、聞こえてくる言葉の響きを楽しみ、物語を自分なりに感じ取っていく。経験が少ない分だけ、現実と空想の境界線はまだまだ曖昧だろう。だからこそ、臨場感あふれる体験として、その一部が記憶に残っていくのである。
絵本を「絵本の中の世界」として
『てぶくろ』(ウクライナ民話 エウゲーニー・M・ラチョフ・絵 内田 莉莎子・訳 福音館書店)と言えば、日本でも読み継がれているロングセラー絵本。雪の中に落ちていた片方の手袋に次々と動物たちが入っていく可愛らしいお話なのだが、ねずみ、かえる、うさぎときて、きつねがやってきたあたりから「あれ、おかしいぞ。そんなに入れるの…?」読んでいると疑問がわいてくる。
ところが、あまりにも自然に大きくなっていく手袋の絵を見ていると、「不思議だけれど、本当にありそうなお話」として3歳の子どもたちは素直に受け入れてしまう。毎回どこかで少しドキドキしながらも、この展開に胸を膨らませている。
どうしてそうなるのか、説明なんてないけれど、子どもたちの目はとっくに輝いている。その様子を見ていると、現実と空想の境界線を自由に飛び回る3歳という年齢がうらやましくなってくるのである。