・1番になりなさい
・他人から、「あの人誰?」と言われるようではだめ
・誰からも名前を知られる人になりなさい
・(わたしの娘たちだもの、)学校でいい成績をとるのは当然
・自分の信じることは、迷わず行動に移す
・一度決めたら、最後までやり通す
一見、スパルタ・エリート教育に思えるかもしれません。ですが母シャマラは、カマラ姉妹が「黒人の女の子」としてアメリカ社会でどんなふうに見られるか、よく理解していたのです。だからこそ、彼女たちを自信に満ち、誇りを持った強い女性に育てたかったのでしょう。
厳しくも深い愛情に満ちた母の教えが、大人になったカマラの人生の大きな支えとなっていきました。
どんなに忙しくても親子での食事を大切に
母シャマラは、厳しいだけの母親ではありませんでした。研究者として多忙な日々を過ごしていましたが、どんなに忙しくても、親子で食事を囲む時間を大切にしていました。
カマラは「母はどんな料理もいかにも科学者らしく、しっかり計量して作りました」と、いろいろなインタビューで語っています。雨の日が続くと「お誕生日ではない日のパーティーをしましょう」と言って、ケーキを焼いてくれたそうです。
また、シャマラは、地域の人たちに大変愛される存在でもありました。どうしても仕事の手が離せないときには、姉妹を安心して預けられる近所の大人たちがいました。そのお返しに、地域の大人たちに読み書きや計算を教えていたのです。
母シャマラがハリスに与えた勇気と愛情
母の厳しくも深い愛情を受けながら少女から大人になったカマラ。やがて、「検察官となり、弱い立場の人々を救いたい!」と思うようになり、カリフォルニア州の司法試験の受験を決意します。
しかし、カリフォルニア州の司法試験に初めて挑戦した結果はなんと〝不合格〟。自信に満ちて結果を待っていたカマラは、絶望のどん底に落とされ、インターンも辞めてしまおうかと考えるほどに追い詰められます。
そんなとき、彼女を立ち上がらせたのは母シャマラによる「わたしの娘だもの ぜったいだいじょうぶ」という言葉。その言葉に支えられ、カマラはもう一度挑戦する勇気を取り戻しました。
翌年2月、再挑戦した司法試験に無事合格し、カリフォルニア州アラメダ郡の地方検事局に検事補として正式に採用されます。このときの母の言葉が、カマラにとって大きな励みとなり、彼女を再び前進させたのです。幼少期の母の言葉は、人生の節目ごとに彼女を支え続けてきました。
そして、カマラ自身も母から受けた深い愛情を忘れていません。2020年、大統領選で副大統領候補に指名されたカマラを祝う場面で、娘のエラがビデオに登場し、こう話していました。
「離れていても、ママラ(ママ+カマラ)は毎日必ず『学校はどうだった?』とメールをくれました ママラは私たち家族の誇りです」
そのビデオでは、日曜日に家族で料理を楽しむカマラの姿も映し出され、彼女がどんなに忙しくても家族への愛情を欠かさないことが伝わってきました。
母シャマラからの厳しい教育と深い愛情は、大人になったカマラの道しるべとなり、彼女を支え続けているのです。