地獄の不登校時代に「死なない理由」が見つかって… 世界的分身ロボット開発者を救った「親の行動」とは
シリーズ「不登校のキミとその親へ」#2‐2 分身ロボット開発者・吉藤オリィ氏~不登校時代の苦しみと救われたこと~
2023.12.06
ロボットコミュニケーター:吉藤 オリィ
学校へ行けず、消えてしまいたい……。
今や世界が注目する分身ロボット開発者として活躍する吉藤オリィさんですが、小・中学校では不登校。当時はそんな思いを抱えて苦しみ、死を意識し続けたと言います。
「二度とあのときには戻りたくない」と今でも断言するオリィさん。彼が死を選ばずにすんだワケと、救われた親の行動とは。
※2回目/全4回(#1を読む)
吉藤 オリィPROFILE
1987年奈良県生まれ。株式会社オリィ研究所共同創設者代表取締役 所長。ロボットコミュニケーター。分身ロボット開発者。小学5年から中学2年まで不登校。2022年、コンピューター界のアカデミー賞と言われる世界的な賞「アルスエレクトロニカ ゴールデンニカ」ほか、受賞多数。「孤独の解消」を人生のテーマに、分身ロボット「OriHime」を開発・普及に務める。趣味は折り紙。
不登校のころは「死なない理由」を探していた
今は、不登校だった自分に「そういうこともあるよ」と言ってあげられます。だけど、渦中にいたころはつらかった。小学校5年生から中学2年まで、学校に行けませんでした。
毎日「このままだと友達とどんどん差が開いてしまう」「どうして自分は学校に行けないんだ」と、焦りや自己嫌悪でいっぱいになりながら部屋の天井を眺めていた。
この世の地獄でした。「消えてしまいたい」と思ったことも一度や二度じゃありません。
自分はどうして生き残れたのか。それは、当時の自分が「死なない理由」を探していたからだと思います。生きる目的を探そうとか、夢を探そうとかではない。「死なない理由」を求めていました。
昔から、何ごとに対しても「なんでだろう」と疑問を持つ子どもでした。なぜ勉強しなくてはならないのか、なぜ制服を着なくてはならないのか、なぜ授業はじっとしていないといけないのか、なぜ先生や上級生に敬語を使わなくてはいけないのか……。
そんな質問を先生にしまくって、先生を疲れさせて、厄介者扱いされていました。
納得する理由が見つからない限り、従う気にはなれない。「そういうもんだから」という言葉で従わせようという人が大嫌いでした。学校は「そういうもんだから」の塊で、とてもつらかった。
何にでも理由を求めていくと、究極は「なぜ生きていないといけないのか」に行きついてしまう。それは最悪の状況なんだけど、幸いなことにというか、もう一歩踏み込んで「なぜ死ぬ必要があるのか」を考えました。
死は不可逆変化です。あとから生き返りたくても生き返れない。生き返れるなら1回死んでみるのもアリだけど、そういう経験は誰にもできない。
理由が見つかるまでは、死ぬわけにはいかないと考えたのです。死にたいと思っている自分がいて、死なせるわけにはいかないという自分もいて、脇から自分を見ている。
前者の自分が衝動的な行動に出ないように、後者の自分は、たとえばバルコニーには近づかないといったリスクを回避する行動を取らせるように自分を管理していました。
無意識のうちに生きたいと思っていたからそんなことをしていたのか、それは自分ではわかりません。ともかく「死なない理由」を必死に探していたおかげで、私は生き残れた気がします。
何があっても「あのときよりはマシ」と思える
その後、私は「すべての人の孤独を解消する」という人生の目標を見つけました。それからは生きることについて悩むことはなくなりました。
目標に向かって、仲間といっしょに分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を作り、それを必要な人に届ける活動をしています。たくさんの人との出会いが、私を後押ししてくれました。まだまだ先は長いけど、着実に前に向かって進んでいます。
ときどき「不登校の経験をどう思いますか?」と聞かれます。「今となってはいい経験でした」という答えを期待されているのかもしれないけど、私は必ずしもそうは思わない。
とにかく苦しい日々でした。二度と同じ道をたどりたくはありません。
ただ、つらいことや苦しいことがあっても「あのときよりはマシ」とは思える。そう思って乗り越えられる。それはありがたいですね。同じ苦しみを誰にも味わってほしくないという気持ちで、そのころの自分が欲しかったツールを作っています。
「不登校の経験があったから今の自分がある」という言い方も好きではありません。どんな経験をしていてもしていなくても、自分は自分です。不登校で苦しんだ経験も自分だし、そこに正解も不正解もない。過去を正解にできるのは、今の自分だけです。
「熱中できるものを見つければ大丈夫、私にできたんだからキミにもできる」という言い方も、プレッシャーを押しつけているみたいで、もっと好きじゃありません。人それぞれ生き方は違う。
誰かと比べるのではなくて、自分の生き方を見つければいいんです。