幼児期 スポーツの習い事は「水泳が最強」 出口戦略・難易度・続けやすさ
スポーツジャーナリスト・生島淳さん「幼児期のスポーツ」#1 幼児期のスポーツの始め方
2022.01.10
スポーツジャーナリスト:生島 淳
習い事を選ぶときの2つのポイント
しかし、何でもいいと言われても、子どものために合っているものを選びたい、というのが親心というもの。
まずは、興味を持ったものはもちろんのこと、
・家から通いやすい
・複雑なルールがない
という2点にポイントに置くことをおすすめします。
まずひとつめ。
幼児期のスポーツは親のサポートが必須です。家から通いやすいという点はお母さん、お父さんがサポートを続けやすい大事なポイント。
実際、続けたいと思っても、距離や時間が問題になり、習い事を諦めたという声も多く聞きます。
ふたつめ。スポーツには必ずルールがあります。幼児にとっては複雑なルールがあるスポーツは理解することがまずなかなか難しいものです。
親御さんがその競技の経験者だったりすると、早く始めて上達させたいというお気持ちでしょうが、運動能力と年齢が相関してくるゴールデンエイジ前は、急いで初めてもそれほど効果的ではありません。
スイミングは始めやすくシステムも明確
その2点を踏まえ、幼児期に私がおすすめしたいスポーツがあります。
それは、 “水泳”です。
水泳選手に必要な、“水の中の感覚”は、かなり幼い時期に養われるのではないかと言われています。
また、競泳のオリンピック選手にアンケートを取ると、初めてプールに入ったのはベビースイミングから。スイミング自体は3~4歳から習い事を始めたという選手が圧倒的に多いんです。
スイミングは、赤ちゃんから受け入れてくれるスクールもあり、制約の多い幼児の習い事の中では、気軽に始められるスポーツです。そして何より、プールは各地域にまんべんなくあり、通いやすいという人も多いのではないでしょうか。
また、目標が細かく立てやすいという点も魅力です。
というのも、スクールに入ると、まずプールに入り、水に慣れるところから始まります。それから、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、個人メドレーなど、目標を明確にした進級テストで上の級に進んでいきます。
この上達のプロセスが目に見えてわかりやすいので、子どものモチベーションを維持する上でも有効なのです。
次第に「選手育成コースに進みたい」「四泳法をマスターしたい」など、子どもから具体的な目標を持つようにもなります。
「出口戦略」が立てやすいのもメリット
同時に、「どこまで続けるか」という出口戦略を立てやすいこともスイミングのメリットです。
他の習い事をしたくなった時や、勉強や塾が忙しくなった時期などに、何となく辞めてしまうのではなく、スイミングなら、「この級をとったら辞める!」という、ゴールを設定することができるからです。
“いつまでやるか”、 “どういうときに辞めるか”を決めて習い事を始めさせる親御さんは多くないと思いますが、検討時期はいつか必ず訪れます。
目標を達成して、 “卒業”することは、子どもの自己肯定感を育むことにもなります。
ちなみに我が家の話をしますと、長男は小学校3年生の時、プールの授業が始まると学校に行くのを嫌がっていました。なぜなら泳げなかったからです。
そこで、スイミングスクールに通わせてみたところ、あっという間に泳げるようになり、「やったらできる!」という意識を持てるようになりました。
また次男には、保育園の年少組から小学6年生まで、スイミングを続けさせました。
というのも、“10歳を過ぎてからも水泳を続けていれば、心肺機能の向上に役立つ”という、取材経験に基づいた確信があったからです。
ゴールの小学校卒業まで、息子はよく続けてくれたと思っています。
その結果、少学6年生のときの陸上の800mの大会では、市でトップの記録を出すことができ、高校に至るまで陸上競技を続けることになりました。
持久力が上がったことは間違いなかったと今でも思っています。
子どもの運動能力が高まる成長期、“ゴールデンエイジ”が子どものスポーツの習い事の始め時に大切なのがわかりました。そして、やめるタイミングも設定しておくことで、子どもも親も、集中して取り組めるのですね。
次回(#2)では、スポーツを習わせたい本当の理由、運動体験で高まる「自己肯定感」についてお話いただきます。
取材・文/上坂美穂
生島 淳
1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。 ラグビーW杯は6度、五輪は7度の取材経験を誇り、日本人メジャーリーガーとの著作も多い。 また、舞伎などの伝統芸能の原稿も多く手掛ける。 主な著書に『気仙沼に消えた姉を追って』、『エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること』、『箱根駅』(文藝春秋刊)、関西学院大学アメリカンフットボール部・鳥内秀晃前監督との共著『どんな男になんねん』(ベースボールマガジン社刊)など。
1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。 ラグビーW杯は6度、五輪は7度の取材経験を誇り、日本人メジャーリーガーとの著作も多い。 また、舞伎などの伝統芸能の原稿も多く手掛ける。 主な著書に『気仙沼に消えた姉を追って』、『エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること』、『箱根駅』(文藝春秋刊)、関西学院大学アメリカンフットボール部・鳥内秀晃前監督との共著『どんな男になんねん』(ベースボールマガジン社刊)など。