
【参加者からの「良かったよ!」に喜び】宮城・岩沼 小6の震災語り部がすべての人に伝えたい想いと母が「子どもを見守って良かった」と語る理由
大震災後に生まれた私が「震災語り部」になったワケ #2 (2/3) 1ページ目に戻る
2026.03.10
用語は辞書で確認 勉強と同じように「コツコツ練習」
「いわぬま震災語り部の会」は2023年3月11日に発足し、以前は30代~80代の会員6人で活動していた団体です。
そこへ心彩さんが入会したのは2025年8月、小学6年生のときのこと。そこから語り部の練習を始め、2025年9月27日に震災語り部としてデビューしました。
「語り部をやるにあたって所属した会から基本原稿を渡されたんですが、もらってから本当に毎日コツコツ、勉強のように少しずつ練習をしました」(心彩さん)
活動は通常、千年希望の丘相野釜(あいのかま)公園内にある最大3ヵ所のポイントをぐるりと歩いて回りながら、震災前の岩沼市沿岸部の様子をはじめ、地震や津波の大きさ、津波が押し寄せてきた方向、被災の実情、教訓などを約1時間かけて解説します。
「各ポイントでは、言わなきゃいけないことがあるんです。でも、小学生の私にはそこに出てくる言葉自体が難しくて、『刻銘碑(こくめいひ)』『行幸啓(ぎょうこうけい)』『献花』などは、漢字の読み方とその意味も調べました。
自分で勉強したり、家族に練習を手伝ってもらったりする一方で、『いわぬま震災語り部の会』の会長さんからは、当日はマイクをつけるけど、みんなに聞こえるようにゆっくり、言葉を区切って、はっきり大きな声で伝えるようにと指導を受けました。
また、私は大震災を経験していないし、参加者の中には実際に家族を失った方も来るのでウソを伝えないことと、活動中は副会長さんがいざというときに助けてくれるから、わからないことは『わからない』と正直に話すことも教わりました」(心彩さん)
小学生の妹に続いて中学3年の兄も震災語り部デビュー
受験生である大遥さんのデビューは、実力テストによって心彩さんと同日とはならず、妹より数ヵ月あとに。ただし、練習と暗記は心彩さんと同じく苦労したといいます。
「避難丘の高さ、かさ上げ道路の高さ、植樹した本数が何万本とか、それぞれの数字を覚えるのがダントツで大変でした」(大遥さん)
語り部として話す内容は、子どもであっても自分で基本原稿をとにかく覚えるしかありません。これについては仕事の合間を見て、夫婦で子どもたちの練習をサポートしたと母の明子さんは加えます。
「家での練習をサポートしたのはもちろん、娘のデビューの日は夫が参加できなかったので私が付き添い、娘と早めに現地に入ってリハーサルをしました。
息子のリハーサルには、夫が付き添いました。夫は津波で親しい友人を亡くしているので震災ではつらい経験をしていますが、だからこそ子どもが取り組んでいる震災を学び伝える活動にとても協力的です」(母・明子さん)
家族一丸となって練習やリハーサルに励み、ついにデビューを果たした心彩さんと大遥さんきょうだいは、震災語り部を務めたあとに確かな手応えを得たと話します。



































