ひとりになりたかった 大人気温泉ライターが語る心の“逃げ場“

子どものころ、お風呂は私にとって唯一ひとりになれる場所だった

永井 千晴

全国500湯ほどの温泉に浸かってきた、温泉オタクの永井千晴さん。趣味だけではなく仕事でも温泉に携わっている永井さんに、子ども時代の自分と「お風呂」の関係性について振り返っていただきました。

「温泉オタク」はこうして誕生した…!

はじめまして、温泉オタクの永井千晴と申します。国内外あわせて500湯ほどの温泉に浸かってきました。普段は会社員をしながら、温泉への愛をきっかけにライターのお仕事などをしています。おかげさまで、『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』(幻冬舎)という本も出版しました。

私は小さいころから温泉が好きだったわけでも、親族に温泉関係の仕事をしている人がいるわけでもありません。大人になってから仕事を通して温泉を好きになった、後天的なオタクです。それでも、家庭環境によって「お風呂好き」の素地は養われてきたように思います。

#ベッドタウンのマンションで、3DK4人暮らし。唯一ひとりになれた場所は「お風呂」

横浜市郊外で生まれ育った実家は、間取り3DKの小さなマンションでした。1部屋は居間、1部屋は寝室、1部屋は学習机やパソコンが詰め込まれた部屋。父母、兄、私の4人暮らしは、子どもたちが成長するにつれて窮屈になっていきました。

「学習机やパソコンが詰め込まれた部屋」が子ども部屋になることはなく、ほぼ押し入れとして機能しながら、兄や私はそこに置いた小さな机で勉強をしていました。父が通信関係の仕事をしていたこともあり、当時にしては立派なパソコンが置かれていたと思います。専業主婦の母は片付けや捨てることがあまり得意ではなくて、友達を家に招くなんてことは夢のまた夢でした。

時代を感じる中学生当時のプリクラ。松山ケンイチさんが好きでした


そんな家だから、プライベート空間は一切なし。学習机だけが自分でカスタマイズできる唯一の場所で、お風呂とトイレだけが唯一ひとりになれる場所でした。

思春期真っ只中、そういう環境に身を置いているとどうなるかというと、とにかく夜はお風呂にこもるのです。

お風呂で使えるCDラジカセを持ち込んだり、お気に入りのマンガや小説を持ち込んだり、携帯(ガラケー)をビニール袋に入れてずーっとインターネットで着うたや歌詞画を探したり。チャットモンチーやBUMP OF CHICKENやサンボマスターや銀杏BOYZを大声で歌って母親に「何時だと思ってるの」と怒られていました。

お風呂の中で、思春期特有の悩みや葛藤に向き合ったり、大好きなもので満ち満ちた空間を作り上げてそれらを忘れようとしたり。ふつう、子ども部屋のある家庭で育てば、逃げ場が自分のベッドだったりするんだろうと思います。すぐ横で母や父や兄が寝ている私の布団では、それは叶いませんでした。ひとりになれなかったからです。だから当時の私にとって、お風呂は“逃げ場”でした。

#いまの私にとっても、温泉は“逃げ場”になっている

実家を出たのは18歳で、それから2年後のこと。20歳の私に、転機が訪れます。

Web制作会社でテレアポのバイトをしていたら、突然温泉好きの社長が「温泉のメディアを作るぞ!」と立ち上げたのです。しかしメディアづくりは難しく、なかなかコンテンツが盛り上がらず…。ブログや書き物を趣味にしていた私に、白羽の矢が立ち、温泉をめぐるルポライターの仕事が舞い込んできたのでした。

車中泊で日本一周しながら温泉レポを書き続けていました

それまでの私は、温泉の良し悪しはもちろん分かりませんし、家族や友達と箱根や熱海へ温泉旅行へ行くぐらいしか経験がありませんでした。当時は円高だったのもあり、周りは海外旅行をする大学生ばかりだったのですが、天の邪鬼な性格もあって「日本中を回れるなんて楽しそう!」とノリでやってみることに。だから先述のとおり、「温泉好き」のバックボーンはまったく無く、劇的なストーリーも持ち合わせておらず、ただ仕事をきっかけに愛を深めていったに過ぎません。

温泉レポを書き続けるバイトから約10年が経ちました。その間、旅行情報誌の編集部で見習いとして働いたり、Twitterやブログで好きな温泉を紹介していたりして、いまに至ります。

一口に温泉といえど、それぞれが源泉の状態や、泉質や、湯船への投入量や、メンテナンス具合によってまったく違う表情を見せることが、本当におもしろくて。ひとつとして同じものはないと言えるほどの個性を持った温泉たちのことが大好きになりました。

ひとり温泉へ行き、酒を飲む大人に…

実家での「お風呂でしかひとりになれなかった」体験が下地にあるためか、いまも本能的に湯場=ひとりになれる場所、という感覚が刷り込まれています。

温泉へは、家族や友人と遊びに行くときはあれど、基本的にひとりでの訪問がほとんど。言語化できない日々の疲れや、環境への怒り、未来への不安を、温泉に逃げ込むことで解消しているのです。

仕事終わりにふらりと日帰り入浴の温泉へ足を運ぶこともあれば、仕事の落ち着いた金曜日に有休をとって温泉旅館で泊まることも、連休に何日かかけて地方の温泉をめぐることもあります。

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