広島「被爆二世」作家がドイツの中高生に尋ねた「遺族が名乗り出ない原爆犠牲者」が813人もいる理由

ドイツ発 作家・朽木祥さんが原爆投下25年後の広島を描いた『光のうつしえ』を講演。「負の記憶」を伝える大切さとは

児童図書編集チーム

ドイツの中高生たちから質問を受け、『光のうつしえ』の英訳版にサインとメッセージを書いている朽木祥さん。撮影:講談社児童図書編集チーム
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日本からはじめての招聘。平和教育に力をいれているドイツで広島について話す

ドイツの南部に、ミュンヘン国際児童図書館(Internationale Jugendbibliothek)があります。世界中の児童文学作品が収集され、作家や研究者など児童文学にかかわる人が集まります。児童文学好きにとっては、古今東西のあらゆる作品に触れられる夢のような場所です。

ここでは2年に1回、「ホワイト・レイブンズ・フェスティバル(白いカラスのお祭り。特別なものがみられますよ、という意味です)」が開催されます。世界中から、15人ほどの著名な児童文学作家が招聘され、ドイツのバイエルン州の各地の小学校、中学校、高校で、児童文学作品についての講演会やワークショップをおこないます。

2023年7月、このフェスティバルに日本からは初めて、作家の朽木祥(くつき・しょう)さんが招聘されました。

朽木祥さんは、ヒロシマにまつわる物語をたくさん書き続けています。広島原爆投下後25年後を舞台に「犠牲者たちのことをずっと忘れないで伝えていくこと」を描いた『光のうつしえ』は高く評価されています。この作品の英語版『Soul Lanterns』は米国でベストブックス2021に選定され、世界的にも評価が高まっています。2014年には、ミュンヘン国際図書館が優れた児童書を選定する国際推薦児童図書目録『ホワイト・レイブンズ』にも選ばれました。

ドイツでは、過去の戦争を自分に関わるものとして考え、記憶をつないでいく教育が積極的に行われています。今回の学校訪問では英語版の『光のうつしえ』と、ドイツ語の部分訳がテキストとして使われることになりました。この物語の主人公たちは周囲の人々の被曝体験を絵で表現していきますが、その姿にドイツの中高生たちも心を寄せやすいというというのが、招聘の大きな理由です。

ミュンヘンのブルテンブルク城にあるミュンヘン国際児童図書館。2023年7月16日の華やかなオープニングイベントの様子。右から3人目が朽木祥さん。撮影:中野怜奈さん(ミュンヘン国際児童図書館日本部門)

「ホワイト・レイブンズ・フェスティバル」のオープニングイベントは、ミュンヘン国際児童図書館のラーベ館長のスピーチではじまりました。続いて、バイエルン州科学芸術大臣代理、ミュンヘン市長のスピーチが続き、生演奏とともに盛り上がります。前川信隆・在ミュンヘン日本国総領事も来訪しました。

次に、13人の作家さんたちは、ステージに吊るされたカラスの形に折った紙をはずして、中に書かれた質問にこたえます。「好きな登場人物はなんですか?」や「ぜったいに書かないことってなんですか?」といった質問に、それぞれユーモアあふれる回答をしていました。

白いソファーに座った作家に20分間インタビューする「ホワイト・ソファー」。創作の過程や作品について専門的な話を聞くことができる。撮影:中野怜奈さん(ミュンヘン国際児童図書館日本部門)

初日のオープニングイベントに続く4日間では、6箇所の学校、大学、図書館、教会などをまわり、現地の生徒と交流しました。その講演内容を伝えていきます。

なぜ、813人の遺骨の遺族がみつからないのでしょうか?

講演は早朝に行われることが多かった。ドイツの中高生たちは、静かに朽木祥さんの言葉に耳を傾けていた。撮影:講談社児童図書編集チーム

みなさん、おはようございます。朽木祥と申します。まず、このポスターを見て下さいますか。広島市が毎夏、貼りだしているポスター、「原爆供養塔納骨名簿」です。日本語は、縦書きなので、縦に名前が右から左に書かれています。

1945年8月6日に広島に原子爆弾が落とされ、多くの犠牲者がでました。

広島の平和記念公園内にある原爆供養塔には被害者の遺骨が眠っています。この名簿には、遺骨の名前はわかっているけれど、遺族がなのりをあげていない813の名前がのっています。「お名前に心あたりがある人は、ぜひ広島市にお知らせください」と今も呼びかけています。

広島市が配布している「原爆供養塔納骨名簿」。朽木祥さんが、各学校に持参しました。撮影:講談社児童図書編集チーム

戦後70年以上たった今も、まだ800人以上の人の遺骨の引き取り手がないのは、どうしてでしょうか? 思いついた方、ぜひ手をあげてください。

──家族や親戚がみんな亡くなったからですか?

そうです。一瞬であまりにもたくさんの人がいっぺんに犠牲になってしまったからです。だから、だれもなのりをあげないのです。いったい1945年8月6日に何人亡くなったか、ご存知でしょうか?

──1万人? 10万人?

(空前絶後の災害であったことから正確な数は特定できず、諸説ありますが)一日で約7万人が亡くなり、その年のうちに14万人(23万人という記録もあります)が放射線被害の後遺症で亡くなったといわれています。

7万人がどれほどの数か、想像してみましょう。このクラスは何人いますか?

──50人です。

だれか、算数が得意な人はいますか? このクラス何個ぶんが計算してくれますか? 70000人÷50人です。

──1400クラスです。

このクラス1400個ぶんの人間が、その日のうちに亡くなったと想像してみて下さい。どれほど強力で悪魔的な兵器か分かるでしょう。

ゼレンスキー大統領も心ゆさぶられた「人影の石」

熱心に朽木祥さんの講演をきくドイツの子どもたち。撮影:講談社児童図書編集チーム

ヒューマンシャドー、「人影の石」という言葉をごぞんじでしょうか。ウクライナのゼレンスキー大統領が、2023年の広島サミットで来日したときに、広島平和記念館で人影の石をみました。とても心を動かされたとスピーチしていました。

「人影の石」とは、黒い御影石に残された人の形の影のことです。原爆の強烈な閃光によって、黒い石は瞬時に白変しましたが、人が座っていた部分だけ、人が盾になって黒いまま残ったのです。人の形の影のように。

8月6日の朝、銀行があくのを待ってこの階段に座っていた女性は、実は私の姻戚にあたります。翌日から娘を連れて疎開する予定でお金を引き出しに銀行に行ったのでした。その朝、この女性を見かけた人たちの証言のおかげで、いったん特定されました。しかしその後、何家族もが「そこに座っていたのは、うちの娘だ」「うちの母だ」と申し出たため、現在ではこの石段の影は身元不明として展示されています。

広島ではあまりにも多くの人がいっぺんに亡くなったので、だれもが帰ってこない家族を探していました。せめて死に場所だけでも特定したかったということでしょう。

そして、犠牲者を探しに市の中心に入った人々や、かろうじて生き残った人々、さらにその子孫には、そのあと何十年も原爆症で苦しんだ方々がいます。原爆被害は、そのときだけでなくて、長く続くこと知っていただきたいと思います。

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