NHKドラマ・原作作家が明かす「『むこう岸』から山に登り、遭難した」理由

『むこう岸』著者・安田夏菜さんが語る執筆の裏側「むこう岸から山に登り、道に迷って遭難しました」

作家:安田 夏菜

生活保護・貧困・ヤングケアラーなど、子どもたちを取り巻く深刻な問題を描いた小説『むこう岸』。難しい社会問題を真摯に読者へ届けた作品は、NHKでドラマ化もされ大きな話題となりました。

この名作『むこう岸』の著者・安田夏菜さんが次に選んだテーマは「山での遭難」。

山といえばアウトドアレジャーの代表格で、夏休みに登山やハイキングを計画している読者も多いでしょう。しかし山では、遭難や滑落による事故が毎年発生し、死亡事故も相次いでいます。

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実は危険と隣り合わせでもある「山」の現実を、安田さんはどのような物語として描いたのでしょうか。

遭難する山は? 道に迷うきっかけは? そして、登場するのはどんな子たちなのか?

ちょっとした出来心から女子高生たちが体験する「生と死の狭間」。その舞台裏を、著者本人によるエッセイで明かします。

『むこう岸』執筆は大変でした

『むこう岸』がNHKでドラマ化され、嬉しいご感想をたくさん寄せていただきました。そのうえ、原作本を手にとってくださった方も多く、作者としてとても幸せなことでした。

ほんとうに書いてよかったと心から思いますが、執筆中はけっこう大変でした。なにしろ「貧困」「格差」「生活保護」「教育虐待」「ヤングケアラー」などなど、重いワードが満載の内容。なのに私自身は、社会福祉の専門家でも、法律家でもありません。ややこしい社会制度をきちんと伝えることができているだろうか、主人公の和真と樹希の心情をちゃんと書ききれているだろうかと、不安だらけの毎日でした。

正直、「もう無理!」と投げ出したくなることもありましたが、そんなとき支えてくれたのが、幼いころからの読書体験です。

絵に描いたような陰キャラ女子だった私の友だちは、物語の本でした。ページを開くと、そこには知らない世界が、実際にあるがごとく広がっていました。宇宙、海底、熱帯のジャングル、ツンドラから見えるオーロラ。恐竜は吠え、魔法使いは空を飛び、未来人が時空を超えてやってくる。

そんな、見たこともない知らない世界と同時に、毎日見ているのに知らない世界も本の中にはありました。

それは、人の心の中です。幼いころから、うすうす気がついていました。人はニコニコしながら心の中では怒っていたり、「大きらい」って言いながらほんとうは好きだったり、恥ずかしそうにしているのに、実は大胆なことを考えていたりするのです。それは普通に生きているだけでは、なかなか見えないし、わかりにくい。幼く、かつコミュ力最低であった私には、なおさら謎の世界でした。

けれど物語を読むと、いろんな人の心の中がわかる。ああ、そうだったんだ。あなたはこんなふうに思っていたんだね。なあんだ、私と同じじゃん。

だから私は、本が好きだったんです。見たことなくて知らない世界も、見たことあるのに知らない世界も、同時に見せてくれる凄いツールです。だから物書きになった今も、そういう観点で物語を書いている気がします。

写真:アフロ

『むこう岸』を途中で投げ出すことなく書ききれたのも、たぶん多くの人が知らない社会制度や、多くの人が見えていない子どもの気持ちを、なんとか物語として伝えたい。かつての私がそうであったように、知らないことを知って驚いたり、共感したりしてもらいたい。その一心が、支えだったように思います。

『むこう岸』が刊行されて、5年以上たち、その間に何冊か本を書きました。どの本も、おなじような苦労の繰り返しです。自分の興味に沿ったテーマなのですが、作者の私自身よく知らない要素も入っており、調べては書き、書いては消し、また勉強し、もっと調べ、調べすぎてわけがわからなくなり……の繰り返し。途中で道に迷い、出口がわからなくなり、ボツになることもたびたびです。

新刊の『6days 遭難者たち』も、一度道に迷った作品です。連れ合いの富山転勤をきっかけに、にわか山ガール(……というより山姥?)になった私は、ときどき山に登るようになりました。そしてその魅力にとりつかれ、これを描きたいと思いました。

『6days 遭難者たち』執筆中に遭難?

当初は高校登山部を舞台にし、登山競技に青春をかける部活モノ、として企画したのですが、さんざん調べあげたあげく道に迷い、谷底から脱出できなくなり、結局その企画は断念してしまいました。あきらめてしまった自分にがっかりし、「あーあ、迷ったあげく遭難しちゃったなあ」とため息をついたとき、「いっそこの物語も遭難モノにしてしまえば?」と思いついたんです。

遭難経験のある人は、世間にほとんどいないでしょう。山の危険性を薄々感じていても、実感している人は少ないでしょう。人はなぜ、遭難してしまうのか。遭難したとき、どうしたらいいのか。生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったとき、人はどんな気もちになり、どう行動するのか。

見たことのない知らない世界。知らない誰かの心の内側。幼い私が夢中でページをめくったその要素を、たっぷり入れ込める題材ではありませんか。

遭難するのは、どんな山? 道に迷うきっかけは? そして、山に登るメンバーはどんな子たち?

そう、今回一番大切なのは、ここだと思いました。

『むこう岸』のときの主人公たちは、ある意味わかりやすい不幸を背負っていました。ひとりは超難関校で落ちこぼれ、父親から教育虐待レベルの期待をかけられて苦しむ男の子。もうひとりは生活保護家庭で、精神疾患の母と幼い妹のダブルケアを一身に背負う女の子です。そういった子どもたちの悩みはもちろん深く、それを読者さんや視聴者さんと共有できたことは、とても価値あることでした。

けれど、そうでない子どもたち──一見、どこにでもいるような平凡な子どもたち──はどうなのでしょう。その心の内も平々凡々で、ありきたりで、描くに値しないものなのでしょうか? いえ、決してそうではないと思うんです。

ひとりはちょっと気が短くて、直情径行な女子。ひとりは甘えん坊で、お母さんが大好きな女子。ひとりは気もちがやさしくて、自分を抑え込みがちな女子。

このどこにでもいそうな普通の女子高生たちが、ふだんどんな気もちで生きているのか。そして、生死の狭間にたったとき、なにを思うのか。

『むこう岸』と同様に、知らなかったことを共有し、登場人物の心情を追体験してもらえたらと願っています。

なお、遭難の経緯や描写に関しては、山岳遭難ドキュメンタリーの第一人者、羽根田治さんが監修をお引き受けくださいました。そこについては、大船に乗った気もちでおります。山の怖さと魅力も、たっぷり知っていただければ幸いです。

女子高生の遭難を克明にえがく『6days 遭難者たち』

ドラマ化もされた『むこう岸』、第68回青少年読書感想文全国コンクール課題図書『セカイを科学せよ!』の安田夏菜、書き下ろし最新作!

亡くなった山好きの祖父との後悔を胸に抱く美玖。大好きな母の乳がん再発におびえる亜里沙。再婚し、幸せな家族の中で孤独を感じる由真。

三人の女子高生はおのおのの理由から、ともに山に登り始める。日帰りできる「ゆる登山」のつもりだった三人だが、下山の計画を変更したことで、道を見失う──。

途絶える電波、底をつく食糧、野宿、低体温症、幻覚……絶望。日常生活では感じえない生と死の狭間で、それぞれの悩みも輪郭を変えていく。

絶望にあらがう中で、三人がつかんだものとは。

巻末には、山岳遭難アドバイザー羽根田治氏によるコラム「遭難を防ぐための五か条」掲載!

『6days 遭難者たち』(著:安田夏菜)「山で遭難しないために」試し読み

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やすだ かな

安田 夏菜

Kana Yasuda
作家

兵庫県西宮市生まれ。大阪教育大学卒業。『あしたも、さんかく』で第54回講談社児童文学新人賞に佳作入選(出版にあたり『あしたも、さんかく 毎日が落語日和』と改題)。第5回上方落語台本募集で入賞した創作落語が、天満天神繁昌亭にて口演される。『むこう岸』で第59回日本児童文学者協会賞、貧困ジャーナリズム大賞2019特別賞を受賞。国際推薦児童図書目録「ホワイト・レイブンズ」選定。ほかの著書に、『ケロニャンヌ』『レイさんといた夏』『おしごとのおはなし お笑い芸人 なんでやねーん!』(以上、講談社)、『あの日とおなじ空』(文研出版)などがある。日本児童文学者協会会員。

兵庫県西宮市生まれ。大阪教育大学卒業。『あしたも、さんかく』で第54回講談社児童文学新人賞に佳作入選(出版にあたり『あしたも、さんかく 毎日が落語日和』と改題)。第5回上方落語台本募集で入賞した創作落語が、天満天神繁昌亭にて口演される。『むこう岸』で第59回日本児童文学者協会賞、貧困ジャーナリズム大賞2019特別賞を受賞。国際推薦児童図書目録「ホワイト・レイブンズ」選定。ほかの著書に、『ケロニャンヌ』『レイさんといた夏』『おしごとのおはなし お笑い芸人 なんでやねーん!』(以上、講談社)、『あの日とおなじ空』(文研出版)などがある。日本児童文学者協会会員。