親子3代、4代に愛されて
星がきらめく大きな瞳、ふわりとカールする優美なヘアスタイル、まわりを彩る可憐な花々……
こちらを見て微笑む少女を描くのは、高橋真琴さん。名前から女性だと思う方も多いようですが男性で、2022年には米寿を迎える、画業68年のレジェンド中のレジェンドなのです。
1992年から毎年、東京と関西で定期的に開かれていた個展には、親子3代や4代にもわたる熱烈なファンがつめかけるといいます。
「絵を介して、親子の仲が修復したとか、結婚指輪がわりに彼女に絵をプレゼントしたとか、そんな話を聞くと、ああうれしいなあ、と思います」(高橋)
家族の仲まで取り持ってしまう絵の魅力とは……? そして、誰からも愛されるレジェンドは、どんな人生を積み重ねてきたのでしょうか。
2度つながった命「好きなことをやる」
1936年、大阪に生まれた真琴氏ですが、誕生時は仮死状態だったといいます。父は公務員、母は日本刺繍や水墨画をたしなむ美的感覚の持ち主。三人兄弟の長男で、子どもの頃は、ひとりで散歩にでかけるのが好きで、大阪郊外の自然に親しみながら幼少期を送りました。
戦時中は、大阪の中心部で空襲を体験。あるとき、空襲警報が出たのに、いつも逃げ込むビルに入れてもらえず、仕方なく別の場所を探して避難した真琴氏。翌日、入れなかったビルが空襲で焼けたことを知ります。
「生まれた時もそうだったけど、2度も生かしてもらえた。そう思ったら、好きなことを好きなようにやろうと、自然に思えたんです」(高橋)
真琴氏が、子ども時代になりたかったものが、3つ。「歴史が好きで、歴史学者。星が好きで、天文学者。そして絵が好きで、絵描き」
手先が器用で、中学から高校にかけては、すでに近所の子たちに絵を教えるほどの腕前。「だから、小遣いはもらったことがなかったです」と笑う真琴氏。
図書室で天啓をうけ
でも、それが、なぜ少女画に?
「中学生のときに、図書室で『ひまわり』という雑誌を見て、こういう世界もあるんや、と衝撃を受けたんです。絵だけでなく、内容、デザイン、編集、すべてに。こういう世界の絵、少女文化を本格的に描いていきたいと決心しました」(高橋)
雑誌「ひまわり」や「それいゆ」を作った中原淳一は、時代の先端を走った画家であり、デザイナーであり、編集者でもありました。その彼が、自分の理想を注ぎ込んだ雑誌が、真琴氏の進路を決めたのです。
進学については、正式な美術教育を受けるかどうか悩んだ真琴氏。結局、縁のあった色染科のある高校へ。
「美術系の学校にはいかずに自分流でやってきたことも、今思えばよかったのかな、と思います」(高橋)
真琴氏の絵は、ピンクや赤だけでなく、さまざまな色が調和のもとに配され、高め合うハーモニーが美しい。
「高校の色染科では色そのものや、色使い、色にまつわるいろんなことを学ぶことができました。色の名前はドイツ語で覚えたんですよ」(高橋)
大きな瞳の女の子
そして、ついに1953年、貸本漫画誌でデビュー。やがて少女漫画誌での連載がきまり、めきめきと頭角を表していきます。当時の業界では、関西在住だった手塚治虫と高橋真琴にだけは、東京の出版社が飛行機代をだしてでも呼び寄せて原稿を描いてもらったという、特別な存在でした。
「飛行機の中でも、絵を描いていましたね」(高橋)
編集者や読者を魅了した、ほかとは一線を画す品のある画風。なかでも大きな特徴のひとつは、その目。
今では当然と思われている、大きな瞳に星を描いたそのスタイルは、その後の少女漫画に大きな影響を与えました。
さらに、その美しく繊細な色彩も独特。当時、掲載されていた少女漫画誌では、表紙や巻頭の一部だけがカラー印刷。
その常連だった真琴氏は、その頃の印刷事情を考えると、「描いた色をそのまま出してもらえたことに感謝」しているのだそう。それは、描き方を変えずに、自分のやりたいスタイルで描き続けることができたからなのだといいます。
1960〜70年代は少女誌での表紙やカラー口絵を数多く担当。当時、真琴氏が表紙をよく手掛けていた「少女フレンド」を見ると、スターやアイドルに混じって、堂々とその少女画が表紙や巻頭カラーを飾り、人気のほどが推し量れます。
「忙しかったですね。でも絵を描くのが好きだったから、それでよかった。この仕事を始めたときは1日にコッペパン一つ、牛乳1本の貧しい生活も覚悟していましたからね」(高橋)
そしてその少女画は、色鉛筆、ノート、スケッチブック、下敷き、パスケースなど、女児文具を席巻。文具類のみならず、ハンカチなどの布製品や、自転車にまでその絵がついて、昭和の少女たちの憧れの的に。
”女の子はみんなお姫様”
どうして”真琴画”は、乙女心をそんなにも捉えるのでしょう?
「女の子はみんなお姫様、と思っているんです。男ばかりの兄弟で育ったこともあるかもしれません。女の子の世界はわからないから、こういう女の子であってほしい、という願いもこめています」(高橋)
なにより楽しいのは、「ムッシュ真琴、私のコーデイネートお願いします」といわれたつもりになって、「お任せください!」とばかりに描くことだと、真琴氏はいいます。
心の中のお姫様たちに任されて、ヘアスタイルや衣装など、時代ごとのスタイルを調べ、そのなかで自分の色を出して作り上げるのが楽しいのだ、と。
いろいろな資料や、実際に見聞きした海外での体験などを、一旦自分の中で咀嚼し、その史実などを踏まえたうえで、どこまでならMACOTO色を出せるかを練りあげる。そうして生み出された少女たちは、真琴氏独特のセンスによる賜物なのです。
「どうすれば、絵の中の女の子たちが引き立つのか、日々考えています」(高橋)
87歳の今も変わらず、描くのが楽しいという言葉に、謙虚な姿勢がにじみ出ています。その生き方が、絵にもゆき渡って、こちら側に伝わってくるのでしょう。
見る者に語りかける、癒しの少女たち
これまでにも真琴氏の画集のデザインを手掛けている、パイ インターナショナルのデザイナー・佐藤美穂さんは、少女時代、自室に飾っていた真琴画に見守られていたといいます。
「この子の瞳をまっすぐに見つめられるかどうか、自分の心の状態を確認するよりどころのような存在でした」
確かに、真琴氏が描く女の子たちの、まっすぐな眼差しから受け取るのは、励ましや勇気づけだけでなく、ちゃんとやってる!? と優しい叱咤まで含まれるよう。魂のこもった絵から、私たちは知らないうちに、癒しを受けているのかもしれません……。
待望の新刊画集は、小さくても存在感大!
2022年、真琴氏は米寿を迎えます。
その大事な年を前に、新しいファンにも届けたいという思いで『高橋真琴の宝石箱』(講談社)という画集を刊行。ここには、1960年代の作品から近作まで、約150点もの少女画がぎゅぎゅっと収録されています。
約15センチ四方の、一見かわいらしい画集ですが、めくってもめくっても大きな瞳に見つめられ、幸せ感につつまれる濃い内容は、まさに宝箱。
「真琴先生への31の質問」というレアなコーナーには、この画集を監修した、真琴氏の長女・理絵さんも楽しんだといいます。「これまで、こういう内容を載せた本はなかったので……。私も知らなかったことが、いくつもあります」
いつもそばに置いて、疲れた時、元気になりたい時、ただただ癒されたい時……折々にページをめくりたい一冊。
個展や美術展などに行きづらい時も、この画集を前に、一人で堪能するもよし、友人と「どの子が好き?」などとお互いの押しを披露しあったりするもよし。親にプレゼントしたり、子どもたちと一緒に見ても会話が盛り上がりそう、などなど様々な楽しみ方ができる画集です。
現在は恒例の個展はお休み中ですが、2022年の米寿イヤーにはなにかやりたいと、少しずつ催しのプランを考えているという真琴氏。
「落ち着いた状況になったら、早くみなさんと直接お会いしたいですね」
また、どんな少女たちに会えるのか、ワクワクしながらその日を楽しみに……。
幼児図書編集部
絵本をつくっている編集部です。コクリコでは、新刊の紹介や作家さんのインタビュー、イベントのご案内など、たのしい情報をおとどけします! Instagram : @ehon.kodansha Twitter : @kodansha_ehon
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