まわりと比べずに子どもの「個」を尊重する
お母さんのサポートもあり、お魚への愛が深まるばかりのミー坊ですが、学校の成績は悲しいかな、残念なもの。頭の中は、毎日お魚のことばかり。お父さんは、そんなわが子のことを「まわりの子と違う」「ふつうじゃない」と心配します。
でも、お母さんは迷いなく言います。
“いいんです。あの子は、このままでいいんです”(『さかなのこ』より)
時は流れ、高校生になってもミー坊(のん)は、相変わらずお魚に夢中。高校の廊下には、ミー坊が書いたお魚の記事満載の『ミー坊新聞』が貼り出され、先生や生徒から人気を集めていました。
でも、やっぱり学校の成績はイマイチ。三者面談では、担任から「お魚のことはほどほどにして、勉強をがんばるように」と言われてしまいます。
けれど、ここでもお母さんはキッパリと返します。
“成績がいい子もいれば、悪い子もいて、それでいいじゃないですか。そんなみんな勉強がよくできて同じだったら、優等生だらけでロボットみたいだわ”
“この子はお魚が好きで、お魚の絵を描いて、それでいいんです”(『さかなのこ』より)
子育てをしていると、娘が「まわりと同じ」ことに安心する瞬間が、私には結構あります。反対に、娘とまわりの子を比較して「あれができない」「これもできない」と、焦ったり不安になったりすることも。
でも、お母さんは違います。まわりの誰とも比べることなく「この子はこの子。それでいい」と、ミー坊の個性を認め、しっかりと受け止めているのです。
さらに原作には、「絵の才能を伸ばすために、先生をつけて勉強させたら」という担任の提案に、ズバッと切り返したエピソードも綴られています。
“そうすると、絵の先生とおなじ絵になってしまいますでしょ。あの子には、自分の好きなように描いてもらいたいんです”(『さかなクンの一魚一会』より)
さかなクンは、振り返ります。
“先生に語ったこの言葉どおり、「勉強しなさい。」とか「お魚のことは、これくらいにしときなさい。」などと言ったことは、いっさいありませんでした。(略)
そのおかげで、自分はこれまでずっと、お魚に夢中になってこれました。今の今まで、一度たりともこのお魚好きを、自分自身で恥ずかしいとか、変だと思うことがなかったのは、母の力が大きかったかもしれません”(『さかなクンの一魚一会』より)
いちばん近くにいる親が、ありのままの自分を認めてくれる──。
それだけで子どもは、自分の“好き”に大きな自信を持って、ぐんぐん前へ進めるのかもしれません。