6歳の愛娘を失った父が作った“こどもホスピス” 重い病と生きる子の「第二のおうち」とは

「こどもホスピス」#2 ~「うみとそらのおうち」(横浜市)ができるまで~

フリーライター:浜田 奈美

突然の余命宣告

うみそらの1階の天井の照明は、星座をモチーフにしています。ふたご座、やぎ座、カシオペア座、小熊座、大熊座……。

このうちふたご座は、田川さんの次女で、1998年2月に小児がんで亡くなったはるかちゃんの星座です。この「星座」に見守られながら、田川さんははるかちゃんへの思いを胸に業務にあたっています。

はるかちゃんは活発な性格で、周囲を笑顔にすることが大好きな女の子でした。はるかちゃんの体に異変が起きたのは、1997年6歳の初夏のことでした。

朝、「頭が痛い」と訴えるので、幼稚園を休ませ、小児科を受診したところ、「風邪」と診断されて薬を処方されましたが、その後も頭痛はなかなかおさまりませんでした。そして夏の終わりごろ、田川さんが、はるかちゃんの深刻な異変に気づきました。大きく右足を引きずって歩いているのです。

「風邪なんかじゃない」。そう確信し、総合病院で受診したところ、頭部の画像診断を指示されました。診断結果は、小児がんのひとつである小児脳幹部グリオーマでした。しかも担当医からは、「残念ながら、治療法はない」と告げられました。

「一定期間、放射線治療で腫瘍を小さくすることならできます。残された時間で、家族とともに、楽しく過ごしてください」。

いきなりの余命宣告です。あまりにも突然で衝撃的な事態に、田川さんも妻も、現実を受け入れられませんでした。

放射線治療を終え、はるかちゃんは自宅に戻りました。幼稚園には戻れませんでしたが、自宅で明るく過ごすはるかちゃんを見て、田川さんは、子どもの生命力を痛感したといいます。

しかし病魔は確実にはるかちゃんの体をむしばんでいきました。

1998年1月末、千葉県鴨川市の海岸で。鴨川は、はるかちゃんにとって、友達家族との楽しい思い出の地だった。  写真提供:田川尚登さん
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悲しみと後悔でつぶされそうに

5ヵ月後の98年1月末。はるかちゃんが「行きたい」と望んだ千葉県鴨川市への家族旅行の翌日、容体が悪化。緊急入院したものの、はるかちゃんの呼吸が止まり、緊急措置として、人工呼吸器が装着されました。

医師からは、「医療的にできるのは、人工呼吸器を動かし続けることだけ」という説明を受けます。

田川さんは葛藤の末、呼吸器を外す決断をしました。胃に通じる管から血液が逆流する症状が頻繁に起こり、はるかちゃんが「つらい」と訴えているように思えたためです。

2月15日。田川さんと妻、そして長女の家族全員と、たくさんの看護師が病室に集まり、はるかちゃんの人工呼吸器が外されました。6歳での旅立ちでした。

はるかちゃんが旅立った後、田川さんは「もっとはるかに寄り添うべきだった」という後悔にさいなまれたといいます。

はるかちゃんの闘病中も、田川さんは家族を支えるために仕事を続けるほかありませんでしたが、「もっと時間を割いて、そばにいればよかった」という感情に、押しつぶされそうになったといいます。

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