6歳の愛娘を失った父が作った“こどもホスピス” 重い病と生きる子の「第二のおうち」とは

「こどもホスピス」#2 ~「うみとそらのおうち」(横浜市)ができるまで~

フリーライター:浜田 奈美

苦悩のすえ、田川さんは2003年に友人らとNPO法人「スマイルオブキッズ」を立ち上げました。医療現場と手を携えながら、自身の経験を生かして民間の立場からも小児医療の充実を目指そう、と考えたのです。

「はるかが生きた証を残したいと思い、彼女がこの世に生まれてきた意味を考え続けました。その結果、はるかと過ごした時間の中からメッセージをくみ取り、形にしようと思い到りました」

患者家族の居場所づくりからこどもホスピス開設に

田川さんはまず、はるかちゃんのお見舞いに通ったときに感じていた、患者家族の「居場所のなさ」の解消に取り組みました。

はるかちゃんが入院していた神奈川県立こども医療センター(横浜市南区)には、県内外の子どもたちが治療に訪れるため、遠方の家族は、車中泊をしたり、院内の休憩スペースで仮眠をとるなどして過ごしていました。

そこで「スマイルオブキッズ」としてチャリティー活動を続け、2008年、患者家族のための宿泊型滞在施設「リラのいえ」を、医療センターから徒歩5分の県有地に開設。1泊1,000円で11組まで泊まれるため、遠方から子どもの付き添いにやってくる家族などに、とても喜ばれています。

そして2013年、「スマイルオブキッズ」あてに、高額な遺贈寄付が届いたことで、「横浜こどもホスピスプロジェクト」が始動しました。遺贈の送り主は、もと看護師で2012年2月に急逝した石川好枝さん(享年76歳)でした。

石川さんは生前、ホームロイヤー契約を結んだ弁護士に、「自分の遺産は、病気と闘う子どもたちのために使ってほしい」と伝えていました。もっとも望んでいたのが、新たなこどもホスピスの開設に役立てることでした。

「スマイルオブキッズ」では誰ひとり、石川さんを知る人はいませんでしたが、弁護士が「リラのいえ」の情報を伝えた結果、ここを遺贈先に選んだのでした。

田川さん自身、「リラのいえ」が軌道に乗り始めた2005年、小児緩和ケアの勉強会の中で、「こどもホスピス」という施設がイギリスにあることを知り、「いつかそんな施設を手掛けてみたい」という漠然とした思いを抱いていました。

しかし現実問題として、欧米のような寄付文化がない日本では、運営費の大半を寄付金に頼る「こどもホスピス」は、自分には実現不可能だと考えていたそうです。

そんな折に多額の遺贈が届き、さらに弁護士から「本当は石川さんは、こどもホスピスの建設に役立てることを望んでおられました」と説明を受けたのです。そのときのことを、田川さんはこう振り返ります。

「こどもホスピスが地域にあれば、はるかのように重い病と闘う子どもたちが、最期まで子どもらしく生きられるはず。『これは運命だ』と感じ、決意しました」

田川さんの思いに弁護士も深く納得し、石川さんの遺産の残金を、「スマイルオブキッズ」に託してくれました。

横浜こどもホスピスプロジェクトの代表理事、田川尚登さん。はるかちゃんが残してくれた思い出を胸に、前に進んできた。  写真提供:うみとそらのおうち
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病院と自宅ばかりの子どもに「第二のおうち」を

翌年(2014)の夏、「横浜こどもホスピスプロジェクト」が本格始動しました。

チャリティコンサートや行政への陳情、勉強会などの活動を経て、2019年にはプロジェクトが横浜市の「在宅療養児等生活支援施設支援事業」に指定され、施設の建設予定地も、横浜市立大学の学生寮跡地を30年間、無償で借り受けることになりました。

ハード面の準備を進める一方で、田川さんは「何をする施設なのか」を理解するため、仲間と共に先進地のイギリスやドイツに出向き、施設の視察を繰り返しました。

先進地の施設では、重い病の子どもたちとその家族が、看護師やカウンセラーやボランティアスタッフなどに見守られながら、遊んだり学んだり、笑顔で過ごしていました。

田川さんのイメージは固まりました。
「第二のおうちにしよう」

2021年11月21日の落成式典では、田川さんは挨拶の中でこう宣言しました。

「命にかかわる病気を持つ子どもは、いま全国に2万人いると言われていますが、彼らには、病院と自宅しか居場所がありません。残された時間を有意義に使い、家族と楽しく過ごせる『第二の我が家』のような場所を、目指します」

その言葉どおり、うみそらは、多くの子どもとその家族たちの「第二のおうち」として親しまれています。

次回は、うみそらで紡がれる子どもたちの「命の物語」を、ご紹介します。


取材・文/浜田奈美

田川尚登さんが愛娘・はるかちゃんを亡くした経験や患者会遺族の話をふまえ、こどもホスピスの必要性を綴った『こどもホスピス──限りある小さな命が輝く場所』(新泉社)。
フリーライター浜田奈美が、こどもホスピス「うみとそらのおうち」での物語を描いたノンフィクション。高橋源一郎氏推薦。『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(朝日新聞出版)
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はまだ なみ

浜田 奈美

Nami Hamada
フリーライター

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。