2つのコンプレックスで不登校に 吉藤オリィさんを「ロボット開発者」に変えた「憧れ」「目標」との出会い

シリーズ「不登校のキミとその親へ」#2‐3 分身ロボット開発者・吉藤オリィ氏~人生を変えた出会い~

ロボットコミュニケーター:吉藤 オリィ

分身ロボットOriHime(オリヒメ)の開発・普及に励むロボット開発者・吉藤オリィさん。他者とのコミュニケーションが苦手だった吉藤さんを大きく変えたのは人との出会いだった。  写真:日下部真紀

孤独を解消する分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を開発し、世界的に注目されている分身ロボット開発者・吉藤オリィさん。

今では講演やテレビなど大勢の前に立つ機会が多数のオリィさんだが、子どものころは集団行動やコミュニケーションが苦手。小中学校では不登校になり、消えたくなるほど苦しみぬいたと言う。

オリィさんを大きく変えたきっかけは何だったのか。生きることがやっと楽になったと感じた日までの経緯を聞いた。

※3回目/全4回(#1#2を読む)

吉藤 オリィPROFILE
1987年奈良県生まれ。株式会社オリィ研究所共同創設者代表取締役 所長。ロボットコミュニケーター。分身ロボット開発者。小学5年から中学2年まで不登校。2022年、コンピューター界のアカデミー賞と言われる世界的な賞「アルスエレクトロニカ ゴールデンニカ」ほか、受賞多数。「孤独の解消」を人生のテーマに、分身ロボット「OriHime」を開発・普及に務める。趣味は折り紙。

小学生の私を苦しめた2つのコンプレックス

小学生のころから、コンプレックスの塊でした。最大のコンプレックスは、コミュニケーションを上手に取れなかったこと。

相手の目を見て話せない。会話の輪に入って行けない。自分の顔を見せるのも、相手の顔を見ることも苦手でした。

人間の顔って、すごく不気味だと思ってたんです。怖かったと言ってもいい。顔から読み取れる情報って大量にありますよね。

たとえば相手の眉毛が少し動いただけで、自分が何か間違ったことを言ってしまったんじゃないかと不安になる。自分の顔も、今ちょっと唇を動かしちゃったけど、昔の私はこうした仕草ひとつでも悪い意味に取られていないかと心配でたまらなかった。

ほかの人は難なくできているのに、私にとって面と向かって会話するというのは、ひじょうにハードルが高い行為だったのです。今はどうにか大丈夫になりました。

たぶん年齢を重ねるにつれて、人は人の顔から不必要な情報を読み取らないフィルターを身につけていくのだと思います。私の場合は、身につけるのが人よりも遅かったのかもしれない。

もうひとつ大きなコンプレックスだったのが、自分の名前です。「健太朗(けんたろう)」という自分の本名が、昔から大嫌いだった。病弱でぜんぜん健康ではなかったし、朗らかでもない。

名前って、親が子どもへの期待を込めて付けるものですよね。親の期待に応えられていないという申し訳なさもあったのかもしれません。

人と出会うことによって人は変わることができる

そんなことが重なって、自分のことが好きになれなかった。もちろん好きになりたいんだけど、どうしてもなれない。

人が当たり前にやっていることができないのがつらかった。かといって、自分を変えることは簡単ではありません。

でも、人と出会うことによって人は変わることができる。それははっきり言えます。多くの人が「あの人と出会えたおかげで今の自分がある」って言うのは、出会いによって自分が変わることができた部分が大きいのではないでしょうか。

私は人生は運だと思っています。成功するかどうかは、本人の努力以上に運の要素が強い。その運の正体は、どういう環境にいたとか、どんな人と出会えたかにある。

いろんな人と出会うことは、とても大切です。出会うことで傷つくケースもあるけど、出会うことによって道が切り開かれていくのは間違いない。

もうひとつ、自分を大きく変えてくれるのがテクノロジーの力です。衰えた視力は自分の意志では回復させられないけど、メガネをかければ解決する。自分の足では歩けない障害を持っている人も、車椅子を使えば移動できる。

私が開発している分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」も、場所や移動の制約を取っ払うことで、できないことを可能にして自分を変えるためのツールです。

中学時代に初めて「憧れ」と「目標」ができた

人との出会いに話を戻すと、中学2年生のときにロボットコンテストの関西大会で久保田憲司先生の存在を知ったことで、私の人生は大きく変わりました。

前年に母の勧めで、地元の科学館で開催された「虫型ロボット競技大会」に出てみたら、運よく優勝したんです。

それで翌年の関西大会に出ることになりました。関西大会は残念ながら準優勝だったけど、会場にはいろんなロボットが展示されていました。

とくに印象に残ったのが、奈良県の工業高校の久保田先生のチームが作った一輪車をこぐ巨大ロボットです。私は、この先生に弟子入りして、こういうすごいロボットを自分でも作りたいと思った。生まれて初めて「憧れ」と「目標」ができたんです。

その高校に入るために、私は中学校に通い始めました。自分にとって大事なのは憧れと目標を見つけられたことで、不登校をやめて学校に戻ったかどうかは重要じゃない。

友達とはうまくやれなかったし、短い期間で勉強の遅れを取り戻すのは大変だった。でも、その高校に入るという目標に向かって頑張って、無事に入学できました。

高校時代は師匠や仲間たちと「カッコいい車椅子」の開発に熱中しました。見た目がカッコいいだけでなく、ジャイロセンサーの働きで傾きを感知するなど、安全で快適に走行できる機能を備えている。

それをJSEC(高校生・高専生科学技術チャレンジ)というコンテストに出品したら、奇跡が起きました。並みいる強豪を押しのけて優勝し、アメリカで行われる世界大会のISEFに出場することになったのです。

なんと私たちの研究は、ISEFのチームエンジニアリング部門で世界3位を取ることができました。JSEC出身の日本人としては最高の賞です。もちろん嬉しかったけど、私が大きな衝撃を受けたのは、大会前日の交流パーティで聞いた同年代の参加者の言葉でした。

自信たっぷりの口調で「私がこの世に生を受けたのは、この研究をするためだと思う」「この研究を死ぬまでやっていきたい」と語っている。その姿は、とてもまぶしかった。

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