アーティストが敬愛するアーティスト
素朴で詩情豊か、あたたかさとユーモアも含んだ筆致から生まれた絵は「物語る絵」といわれ、後に続く多くの画家たちにも影響を与えてきました。世界的に活躍する現代美術アーティスト・奈良美智もそのひとりで、時代を超えて心に響く「憧れ」の表現者と評しています。2017年には、ちひろ美術館で奈良美智みずから茂田井武の展覧会を企画するほどでした。
茂田井武「アクロバット」 1932-33年ごろ
人々の記憶を呼び覚ます絵
茂田井は、子どものころの記憶や、欧州の旅での印象、夢のなかの光景などを、まるで印画紙に焼き付けるように絵にしました。茂田井の絵を見ていると、いつかどこかで見た懐かしい光景と錯覚する感じがあります。会ったことのない誰かに通じる懐かしさ。古い記憶なのに古びることなく、逆に新しい。見る側も不思議な魔法にかけられるのかもしれません。
「記憶ノ一切ヲ悉く大鍋に入れ、ジックリト火ニカケ、ユックリカキマワシテハ ネリコネテ、ウマイヨーカンにする」
(茂田井武 1944年ごろ)
「記憶ノ一切ヲ悉く大鍋に入れ、ジックリト火ニカケ、ユックリカキマワシテハ ネリコネテ、ウマイヨーカンにする」
(茂田井武 1944年ごろ)
茂田井武「賢治歌集と赤いジープ」1947年
芸術家の集う街、パリへ
茂田井の人生は波瀾万丈です。1908年に日本橋の「越喜」という旅館の次男として生まれました。15歳のときに生家の旅館が関東大震災で全焼。翌年に母を亡くし、その後は父親の再婚相手とはそりが合わず、美術学校の試験に失敗。美術学校入学はあきらめ、パリ行きを思い立ち、アテネフランスに入学。ここで2歳年上の詩人、中原中也に出会っています。
21歳のとき、写生旅行と称して、鞄ひとつで満州へ。そこからシベリア鉄道に乗りパリへ向かいました。そして、パリの日本人クラブの食堂で皿洗いをして働きながら独学で絵を描き、日々の生活を画帳に描き留めました。美術学校に通うでもなく、ルーブル美術館にも1度行ったきり。極貧生活のなかスイス、ベルギーなどにも滞在しますが、パスポートの手違いでロンドンを経て強制送還。3年間の欧州ボヘミアンの旅でした。
21歳のとき、写生旅行と称して、鞄ひとつで満州へ。そこからシベリア鉄道に乗りパリへ向かいました。そして、パリの日本人クラブの食堂で皿洗いをして働きながら独学で絵を描き、日々の生活を画帳に描き留めました。美術学校に通うでもなく、ルーブル美術館にも1度行ったきり。極貧生活のなかスイス、ベルギーなどにも滞在しますが、パスポートの手違いでロンドンを経て強制送還。3年間の欧州ボヘミアンの旅でした。
茂田井武「絵物語『夢の絵本』より」1948年
欧州滞在中に描かれた画帳の多くは人の手に渡ったり、戦災で消失してしまったりしています。現存するのは「ton paris」「Parisの破片」「続・白い十字架」の3冊のみ。その中の「ton paris」(トン・パリ)から、数点絵をご紹介しましょう。
画帳「ton paris」より
「ton paris」は、パリに到着する前の車窓にはじまり、日本人クラブのあったデバルカデール通りを中心に描かれた画帳。パリといえば「花の都」。しかし、極貧生活を送っていた茂田井の目うつったパリは、決して華やかなだけではなかったようです。迷いない線と絶妙な構図と配色で描かれたパリの市場、遊園地、安酒場、マドンナ……日常生活の中で目に触れた情景や市井の人々の哀楽を心にとめ、描きためました。1930年代のパリの空気を水彩や色鉛筆で鮮やかに写し取った絵日記からはパリの空気、エスプリが感じられ、画家のまなざしをとおして街々を眺めているかのようです。
(絵のキャプションはすべて『ton paris』(講談社)より部分抜粋)
(絵のキャプションはすべて『ton paris』(講談社)より部分抜粋)
「荒物屋」 看板にはEPICIER(食料品屋)と書いてある
「果物屋」 ジャムや香辛料も置いている
「青物屋のノンテヂュウ野郎」 nom de dieu(畜生)という意味か
「パンヤ」 茂田井は化粧気のない売り子たちを気に入っていたよう
「サン・フェルディナン広場」 この絵に描かれたほとんどすべてのものが画帳に登場している
「LUNA PARK(ルナ・パーク)」 デバルカデール通りの西にあった遊園地
茂田井武の思い
帰国後はさまざまな職に就いたのち、成人向けの雑誌「新青年」で挿絵を描き始めます。戦後約10年のあいだには、将来ある子どもたちに向かって童画を中心に、膨大な仕事に取り組みます。絵本に関わるようになってからは、子どもたちのことを思って絵を描くようになりますが、その思いは日本の子どもだけではなく、世界中の子どもたちへも広がっています。絵の真髄である自分の心の表現に徹しながら、晩年は病床で絵を描き続けました。
ありし日の茂田井武
最後に茂田井の言葉から。
自分一人が幸福になることを念ったり、
自分の家のものが幸福になるのを念ったり、
自分の国が幸福になるのを念ったりするような、
たとえば小さな念いではなく、
全世界、全宇宙、さらにもっともっと
きりのないものの幸福をこそ念いたい──
(茂田井武 1955年ごろ)
自分一人が幸福になることを念ったり、
自分の家のものが幸福になるのを念ったり、
自分の国が幸福になるのを念ったりするような、
たとえば小さな念いではなく、
全世界、全宇宙、さらにもっともっと
きりのないものの幸福をこそ念いたい──
(茂田井武 1955年ごろ)
茂田井武『おめでとう』(文・広松由希子 講談社)より
紛争の話題が絶えないいま、世界中の全ての人にこの言葉を届けたい。
文:五十嵐千恵子
文:五十嵐千恵子
Information
「ton paris」の原画を所有する美術館、群馬県桐生市にある大川美術館では、「茂田井武没後70年企画 茂田井武『ton paris』とパリの画家たち」を2026年3月29日(日)まで開催しています。
詳細はホームページをご覧ください。
https://okawamuseum.jp/event.php![]()
茂田井武の貴重な画帳の絵を一冊にまとめた『ton paris』
茂田井武がパリを描いた幻の画帳が、よみがえる。
天才と称されながら、短い活躍ののち惜しまれつつ急逝した童画家、茂田井武。ぬくもりのある筆致や詩情あふれるモチーフは、現在も多くのファンを魅了し続けています。その茂田井が20代にパリで描き綴った画帳が「ton paris」(トン・パリ)。市場、遊園地、安酒場……1930年代のパリの空気を水彩や色鉛筆で優しく鮮やかに写し取った若き日の絵日記は、画家のエッセンスが凝縮したかのような存在感を放ちます。
現存する画帳の全ページを掲載し、資料として広松由希子氏による作品解説や、関連地図・略年譜・未発表原稿を収録した、ファン待望の画集。
『ton paris』 画:茂田井武 (講談社)
天才と称されながら、短い活躍ののち惜しまれつつ急逝した童画家、茂田井武。ぬくもりのある筆致や詩情あふれるモチーフは、現在も多くのファンを魅了し続けています。その茂田井が20代にパリで描き綴った画帳が「ton paris」(トン・パリ)。市場、遊園地、安酒場……1930年代のパリの空気を水彩や色鉛筆で優しく鮮やかに写し取った若き日の絵日記は、画家のエッセンスが凝縮したかのような存在感を放ちます。
現存する画帳の全ページを掲載し、資料として広松由希子氏による作品解説や、関連地図・略年譜・未発表原稿を収録した、ファン待望の画集。
『ton paris』 画:茂田井武 (講談社)
































茂田井 武
1908年、東京・日本橋生まれ。1930年に渡仏。帰国後、さまざまな職を経て、雑誌や大衆小説などに挿絵を描くようになる。特に戦後の10年間は子どもの本を中心に膨大な仕事に取り組む。1954年、絵雑誌「キンダーブック」の仕事に対し、小学館児童文化賞児童絵画賞受賞。絵本の代表作に『セロひきのゴーシュ』などがある。素朴な詩情と幻想、郷愁とユーモアを含んだ絵で、戦後の出版美術界に大きな影響を与え、現在も数々のアーティストを魅了し続けている。1956年、没。
1908年、東京・日本橋生まれ。1930年に渡仏。帰国後、さまざまな職を経て、雑誌や大衆小説などに挿絵を描くようになる。特に戦後の10年間は子どもの本を中心に膨大な仕事に取り組む。1954年、絵雑誌「キンダーブック」の仕事に対し、小学館児童文化賞児童絵画賞受賞。絵本の代表作に『セロひきのゴーシュ』などがある。素朴な詩情と幻想、郷愁とユーモアを含んだ絵で、戦後の出版美術界に大きな影響を与え、現在も数々のアーティストを魅了し続けている。1956年、没。