低出生体重児を産んだママの「罪悪感」とは? 「リトルベビーハンドブック」が全国に拡がった理由
小さな赤ちゃんに寄り添う手帳「リトルベビーハンドブック」#2 ~リトルベビーハンドブックができるまで~
2023.08.18
静岡県リトルベビーサークル「ポコアポコ」代表:小林 さとみ
日本で初めて小さな赤ちゃんと親のための手帳、リトルベビーハンドブックが当事者たちによって制作されたのは2011年のこと。
静岡県のリトルベビー親子のサークル「ポコアポコ」のメンバーと静岡県立こども病院の医師や看護師らが協力して制作しました。
「ポコアポコ」の代表であり、自らも21年前(2002年)に双子のお子さんをリトルベビーとして出産、子育てをしてきた小林さとみさんにお話を伺いました。
※2回目/全4回(#1を読む)
927gと466gの赤ちゃんに母子手帳はほとんど使わなかった
2002年4月に双子の女児を出産した、小林さとみさん(以下:さとみさん)。双子は927g、466gで誕生し、この春に21歳になりました。今では大学生と社会人として立派に成長しています。
しかし、これまでの成長過程では何度も発達や病気などに悩まされたそうです。
「母子健康手帳(以下略:母子手帳)はもらったときにすごく尊いものと思いました。これは将来、子どもたちの宝物にしたいと思っていましたが、結局、私は母子手帳を開いても自分の子どものことを書くところが全くないというか……。
それってイコールそんなふう(極低出生体重児)に産んでしまった私のせい……と自分を責める気持ちにつながってしまいました。なので、ほとんど使わなかったんです」(さとみさん)
リトルベビーのママには、産後、自分を責め続け、孤独に陥るケースも多いといいます。
「私はわからないことはなんでも人に聞いて解決してきました。医師や看護師さん、療法士の方、家族など、常に多くの方々に助けられてきたんです。
ただママの中には、子どもを小さく産んだことに罪悪感を抱えてしまい、誰にも相談できない人もたくさんいるんですよね。私は、本当に周りの人に助けられてきたので、いつかその恩返しができればいいなと思っていました」(さとみさん)
娘たちが5歳のとき、さとみさんはすでに静岡県立こども病院の医師らが発足していたリトルベビーサークルから「一緒に運営してくれないか」という相談を受けます。
双子たちの子育てと通院で忙しい日々でしたが、恩返しをしたいという思いから参加することにしました。
新聞記事がきっかけで活動がスタート
「あるとき、新聞記事で熊本県による極低出生体重児の支援で、“くまもとリトルエンジェル手帳”(以下略:エンジェル手帳)というものがあることを知ったんです。
これは、静岡県にはないのかと静岡県庁にすぐに問い合わせました。県庁の答えは『今はないし、これからも作る予定がない』とのこと。
ただ、私たちサークルのメンバーはどうしてもあきらめられなくて、エンジェル手帳のコピーを取り寄せて自主的にサークル内で研究していたんです。熊本県庁の方にお話を伺ったこともあります」(さとみさん)
その後、研究をつづけながら、発行のために静岡県の助成金事業に応募。日本で初めてのリトルベビーのママ当事者たちによるリトルベビーハンドブックが2011年に完成しました。
「当時、静岡県立こども病院にいらした医師には最初から最後まで伴走していただきました。
2011年2月27日に完成記念講演会をやったのですが、それが思いのほか注目していただき、県外からも多くの問い合わせをいただきました。
ただ、そのときには静岡県の助成金で作っていたので、『ゆずってほしい』と言われても県外の方にはお渡しできなくて……。それはジレンマでしたね」(さとみさん)
さらに、2012年も助成金をベースにリトルベビーハンドブックの普及活動をしましたが、在庫や配付状況の管理などの運営は、リトルベビーの子育て中でもあるサークルメンバーだけでは難しいものがありました。
「このリトルベビーハンドブックを全国に拡げていきたいと思っているのに、静岡県内での配付でさえままならなくなってきて、正直行き詰まってしまいました。でも、そのころに国際母子手帳委員会の板東先生に出会うことができたんです」(さとみさん)
国際NGO国際母子手帳委員会事務局長・板東あけみ氏は「これは全国に拡げるべきもの」と強く賛同。そこからは、国際母子手帳委員会のネットワークをベースに県庁やNICU(新生児集中治療管理室)がある病院などへのアプローチを行うなどして、その活動は一気に拡がっていきました。