アジア初のユニセフ親善大使として、紛争や飢えで苦しむ子どもたちのもとへ
私をユニセフに紹介してくださったのは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の高等弁務官だった緒方貞子さんです。緒方さんは、ユニセフの元事務局長のジェームズ・グラントさんと親しくしていて、「アジアから誰か親善大使にふさわしい人を紹介してほしい」と頼まれていたのだそうです。
ちょうど『窓ぎわのトットちゃん』の英語版が出版されたとき、偶然グラントさんが日本にいらしたので、緒方さんは英語版『窓ぎわのトットちゃん』を渡してくださったのです。グラントさんは一晩で読んでしまい、すぐに東京じゅうの本屋を駆け回って手に入るだけ買い込み、ニューヨークのユニセフ本部の人たちに送って読んでもらったのだそうです。
そして、「これほど子どものことをわかってくれる人なら」ということで、私がユニセフ親善大使に選ばれたのです。私はユニセフに、即座に「お引き受けします」とお答えしました。ユニセフがノーベル平和賞を受賞していると知ったのは、ずっと後のことでした。
そのころは、毎日、新聞やテレビでアフリカの飢えについて報道されていました。でも、アフリカから遠い日本では、まだ、実感できないでいた時代でした。ですから、最初の訪問国は、「ぜひアフリカに」とユニセフに頼みました。そして、アフリカのタンザニアに行くことが決まったのです。
タンザニアは、1981年に大干ばつに襲われてから雨が降らないために穀物がほとんどできなかったのです。そして、毎日600人近くもの5歳未満の子どもが、飢えとさまざまな病気で死んでいました。
アフリカのスワヒリ語で、子どもは「トット」
私は小さなころ徹子とうまく言えず、自分のことを「トットちゃん」と言っていました。『窓ぎわのトットちゃん』の本も、そこからつけた題名です。
ユニセフ親善大使となって、初めてタンザニアに行ったときのことです。アフリカの人たちがもっとも使うスワヒリ語で、子どもたちのことを「トット」というと知りました。なんという偶然でしょう!
それ以来、スワヒリ語の人たちのところで、「トット!」という声が聞こえると、私はほんとうにうれしくなります。そして、「神様! ありがとうございます。きっと私は、小さいころから、子どものために働くために生まれてきたんですね」と小さな声で言うのです。
1984年のタンザニアを皮切りに、毎年私は世界中の苦しんでいる子どもたちのもとに行くことになりました。紛争が起きている国、同じ民族同士が争っている国、難民キャンプ、災害や干ばつなどで食糧のない地域……。そんな30以上もの国々の子どもたちの様子を世界に伝えてきました。
子どもたちの実情を「知ってもらい、関心を持ってもらうこと」、このことが始まりだと私は思います。子どもたちにとっては、忘れられていること、何も知られていないことが、いちばん悲しいことなのです。
そして、1984年から1996年までに訪問した国の話を『トットちゃんとトットちゃんたち』(青い鳥文庫)、1997年から2014年までを『トットちゃんとトットちゃんたち 1997‐2014』(単行本)にまとめて多くの人のもとに送りました。「私と会った子どもたち」という意味を、このような題名にしたのは、こういうわけだったのです。
絶対に苦しみに子どもたちを巻き込んではいけません。ほんの一握りの国の人たちが、ちゃんとしたお水を飲んで、予防注射をしてもらえて、教育も受けられる環境の中で暮らせるのです。この本で、少しでも子どもたちが生きていくことの大変さをわかっていただけるとうれしいです。
ユニセフ親善大使の役割
1945年、第二次世界大戦が終わった年に国連が発足し、翌年、ユニセフが創設されました。そのころは戦争の被害で、アメリカなど少しの国を除いて、ほとんどの国の子どもたちが飢えていたのです。
ユニセフの初代事務局長のモーリス・ペイトさんは、「子どもには、敵も味方もない」と言って、飢えている子どもたちにどんどん食べ物を送ったそうです。当時、日本の学校給食で脱脂粉乳を飲んだ方がいるでしょう。あれは、ユニセフから送られたものだったのです。
ユニセフ親善大使の視察には、大きく分けて3つの目的があります。
1つ目は、ユニセフの支援を必要とする子どもたちの現状を多くの方に知ってもらうこと。
2つ目は、訪問国の大統領や政府関係者に、子どもの福祉向上のための政策を行うように要請すること。
3つ目は、ユニセフの活動資金を募ること、です。
視察には写真家をはじめ、報道機関からの同行取材をお願いします。視察は、多いときには20人近いチームになります。視察から帰ると、テレビを通して訪問した国の実情を皆さんにお伝えするのです。テレビのおかげで、日本の皆さんがいつの間にかアフリカなどの子どもたちのことを心配してくださるようになりました。
ユニセフ(国連児童基金)は、子どもの命と成長を守るための国連機関です。約190の国と地域で、各国政府や民間団体と協力して事業活動を行っています。親善大使は、子どもの福祉や人道問題に強い関心を持つ世界の著名人の中から、発展途上国の子どもたちの代弁者としてユニセフ事務局長が任命します。1年間のお給料は、わずか1ドルです。
親善大使の第1号はアメリカの俳優ダニー・ケイさん。その後、イギリスの俳優・映画監督のピーター・ユスチノフさん、ノルウェーの女優リブ・ウルマンさん。そして、女優でテレビパーソナリティーの私が4人目の親善大使となりました。
次にアメリカの歌手ハリー・ベラフォンテさん。イギリスの俳優・映画監督で「ガンジー」などを手掛けたリチャード・アッテンボローさん。イギリスの女優オードリー・ヘップバーンさん。イギリスの俳優ロジャー・ムーアさんなどの方々が親善大使になりました。
最近は『窓ぎわのトットちゃん』の続編を出させていただいたり、映画もできたりして、とてもたくさんの方々に知っていただきました。『窓ぎわのトットちゃん』から、どんなふうに戦争のお話が出てくるのかと思われるでしょうが、戦争はイヤだということが伝わればと思います。
私はテレビで女優をしておりますけれど、平和を維持するために何かをできるのだったら、テレビの仕事をやり続けていこうと思っています。
【本稿は、第5回野間出版文化賞贈呈式での「受賞の言葉」と、追加取材をもとに、黒柳徹子さんのお話として再構成したものです】
取材・文/高木 香織
高木 香織
出版社勤務を経て編集・文筆業。2人の娘を持つ。子育て・児童書・健康・医療の本を多く手掛ける。編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『子どもの「学習脳」を育てる法則』(ともにこう書房)、『部活やめてもいいですか。』『頭のよい子の家にある「もの」』『モンテッソーリで解決! 子育ての悩みに今すぐ役立つQ&A68』『かみさまのおはなし』『エトワール! バレエ事典』(すべて講談社)など多数。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)がある。
出版社勤務を経て編集・文筆業。2人の娘を持つ。子育て・児童書・健康・医療の本を多く手掛ける。編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『子どもの「学習脳」を育てる法則』(ともにこう書房)、『部活やめてもいいですか。』『頭のよい子の家にある「もの」』『モンテッソーリで解決! 子育ての悩みに今すぐ役立つQ&A68』『かみさまのおはなし』『エトワール! バレエ事典』(すべて講談社)など多数。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)がある。
黒柳 徹子
東京・乃木坂に生まれる。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサートマスター。 トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI(メリー・ターサイ)演劇学校などで学ぶ。 アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのアメリカのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウイーク、ニューヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は49年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成。アメリカ、イギリスなどの英語圏、ドイツ、ロシア、中国語圏、アラビア語圏など、20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国連児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長など。文化功労者。 (写真/下村一喜)
東京・乃木坂に生まれる。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサートマスター。 トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI(メリー・ターサイ)演劇学校などで学ぶ。 アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのアメリカのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウイーク、ニューヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は49年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成。アメリカ、イギリスなどの英語圏、ドイツ、ロシア、中国語圏、アラビア語圏など、20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国連児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長など。文化功労者。 (写真/下村一喜)