今、再び『窓ぎわのトットちゃん』が注目を集めています。トットちゃんとは、女優・司会者・執筆業のかたわらユニセフ親善大使も務めている黒柳徹子さんのこと。
1981年に刊行された『窓ぎわのトットちゃん』は、国内でも800万部以上、世界中で2510万部以上も読まれる国民的ベストセラーになりました。2023年10月には42年ぶりに続編が刊行、12月にはアニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』が公開されました。原作以外にも、トットちゃんの魅力を伝える絵本や映画のストーリーブックも、世に送り出されています。
さらに、11月には第5回野間出版文化賞を受賞されました。ここでは、12月15日に行われた野間出版文化賞贈呈式でのスピーチと、これまでのご活動についての黒柳徹子さんのお話をお伝えします。世界中の子どもたちの幸せを願う、黒柳さんの想いがいっぱいつまった言葉です。
【本稿は、第5回野間出版文化賞贈呈式での「受賞の言葉」と、追加取材をもとに、黒柳徹子さんのお話として再構成したものです】
目次
〈令和5年度野間出版文化賞(第5回)授賞理由/日本初のテレビ女優にして、70年後の現在もテレビ番組のレギュラーを務めている稀有な存在。1981年刊行の自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』は戦後最大のベストセラーとなり、日本と海外を合わせると累計2500万部を超えている。社会福祉法人「トット基金」の設立、ユニセフ(国連児童基金)親善大使など慈善活動にも注力。2023年10月には『続 窓ぎわのトットちゃん』を刊行するなど、長きにわたって出版文化にも大きな影響を与え続けている。〔同時受賞者に、俳優の芦田愛菜(あしだ・まな)さん、将棋棋士の藤井聡太(ふじい・そうた)さん、特別賞としてテレビディレクターの福澤克雄(ふくざわ・かつお)さん〕〉
『窓ぎわのトットちゃん』刊行から42年たち、時代が変わった
みなさんこんにちは、黒柳徹子でございます。今日はすばらしい賞をいただいて、とてもうれしく思っています。
今回、私は「世の中が変わってきたな」と思いました。42年前に私が『窓ぎわのトットちゃん』を書いてベストセラーになりましたときは、批評を書いてくださる方が「妻にすすめられたので読んでみたら、案外よかった」とか、「女が書いたから」「タレントだから」受けたのだ、といったものが多かったのです。
確かに私は女だしタレントですから、問題はないのですけれど、いちいちそんなふうに言われてしまうのもね……と思いました。でも、42年もたつと世の中はすっかり変わっていて、私、今回同じような続編を書いたのですけれど、以前の悪口のようなものはまったくありませんでした。「女性ならではの視点」といったコメントをいただいたりして、うれしいことだと思っています。
今日は、私が尊敬する藤井聡太さんや芦田愛菜さん、福澤克雄さんとご一緒に賞をいただけて、ほんとうにうれしいです。
私はとっても将棋が好きで、休憩時間にいつも見ているんです。藤井さんってすごいなー、といつも思っていて。以前から藤井さんという方はどんな方か見てみたいな、と思っていまして(会場笑)、「いったいどうしたら、あんなふうに四角い将棋盤の前に座って打てるのかなぁ」というのが、とても不思議でたまらないんです。将棋盤の前で相手が「ううう~」と考えていると、藤井さんが「ふっ!」と駒を打って(会場爆笑)。ああいうものは私たちの世界にはないことです。
きっと頭がいいんですね。それでさっき、ちょっと藤井さんに伺ってみたんですよ、「頭がいいの?」って(会場笑)。それもちょっと失礼な質問ですよね。でも先ほど少しお話ししましたら、すごく普通の方で(会場爆笑)。とってもかわいい笑い方で、「あ、そうか、普通でもいいんだな」と思いました。
「もっとも多く発行された単一著者による自叙伝」としてギネスに認定
私はテレビ番組の『徹子の部屋』で1万何千人かの人にインタビューしたのですが、やっぱり人間って面白いですよね。皆さんもそう思っていらっしゃると思いますけれど、ほんとうにいろいろな方がいらっしゃるものだと思って感心します。
以前は若い人たちと親しくなるのは、何となく難しかったのですけれど、だんだん歳を取ってくると、誰とでもすぐお話しできるようになってきました。それはとてもありがたいことだなと思っています。
今回は野間出版文化賞というすばらしい賞をいただきました。私は作家ではございませんので、なぜ賞をいただけたのかわからないのですけれど、まあ、たくさん本が売れたからかなぁ、と(会場爆笑)。
今から60年以上前、「婦人公論」に書いたトモエ学園にまつわる短いエッセイを読んだ講談社の編集者が、「一冊の本に書いてみませんか?」とわざわざ会いに来てくださって、パンパンに膨らんだ紙袋の中に「講談社」と印字された200字詰めの原稿用紙がたくさん入っていたときのうれしさは忘れられません。当時から少しずつ原稿の依頼があった私は、「ラッキー!」とばかりに、それをトモエ以外の原稿を書くことに使ってしまいました。
でも、20年近くがたって「若い女性」で『窓ぎわのトットちゃん』の連載をすることになったときは、また山もりの原稿用紙をちょうだいし、おかげさまで、『窓ぎわのトットちゃん』は大ベストセラーになりました。「100万部売れています」なんて言われても実感がわきませんでしたが、NHKのニュースで、印刷会社からトラックいっぱいの本が出荷されている映像を見て、はじめて「すごいなあ」と思いました。
今回、42年ぶりに『窓ぎわのトットちゃん』の続編を書いたわけですが、装丁にも、前作と同じいわさきちひろさんの絵を使わせていただきました。さっそく「売れていますよ!」という連絡が編集のほうからありました。前作のファンで、「続きを読みたい」と思ってくださった方が多いのだそうです。
42年以上前という、そんな昔に読んだ本のことを、今も大切に思っているなんて、うれしいことです。本の寿命というのは、人間の寿命より、ずっと長いのですね。
『窓ぎわのトットちゃん』は、「もっとも多く発行された単一著者による自叙伝」として、ギネス世界記録(※)に認定されました。海外でも人気があって、20以上の言語に翻訳されているんですよ。
(※注:『窓ぎわのトットちゃん』は、2023年9月末時点での全世界累計発行部数が2,511万3,862部を記録し、「もっとも多く発行された単一著者による自叙伝」として、2023年12月14日付でギネス世界記録に認定された)
平和の手助けをしたい
私がテレビ女優としてNHK(日本放送協会)に入局したのは、1953年(昭和28年)のことです。NHKのテレビ放送が始まったこの年から、ずっと私はテレビの仕事をしています。
ちょうどそのころ、私に大きな影響を与えた人が日本にやってきました。NBC(ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー)のプロデューサーだったテッド・アレグレッティーさんです。
アレグレッティーさんはNHKがテレビ放送を始めるにあたり、技術的なことを含めてさまざまなアドバイスをしてくれました。放送に先立ち、私たち関係者を前に、アレグレッティーさんはこう力説したのです。
「テレビは今世紀最大のメディアであり、そのうち戦争さえも家のテレビで観られる時代が来るでしょう。テレビには力がある。その国がよくなるのも悪くなるのもテレビにかかっています。そして私は、テレビが永久の平和に寄与できると信じています」
このアレグレッティーさんの言葉は、子どものころに戦争を経験し、食糧不足や空襲の恐怖に怯え、戦争を嫌悪していた私の心に強く響きました。戦争なんて、あんなイヤなものはありません。戦争は絶対にイヤです。
だから、「もし私がテレビに出ることによって、平和の手助けができるのなら、こんなにすてきなことはないわ」と信じて、仕事をしてきたのです。
どうしたら私が平和に貢献できるでしょう。人に伝え、知ってもらうことをしたい。少なくとも、反対の方角に行かないようにしたいと頑張っています。