
【公民館がスゴいことになっていた!】沖縄「若狭公民館」子どもと大人たちが“アート“で生み出す新しい価値観とは?
シリーズ「地域をつなぐ みんなで育つ」#3‐3 「若狭公民館」【1/2】(沖縄県那覇市)
2025.04.07
ライター:太田 美由紀
前身は沖縄の現代アートを盛り上げた「前島アートセンター」
各地の公民館でも創作活動などの講座は行われていますが、さまざまな分野のプロのアーティストが講座に継続的に関わっている公民館は珍しいようです。
2006年から若狭公民館に勤務し、現在は館長を務めている宮城潤さんは、2000年代の沖縄アートシーンを牽引(けんいん)してきた「前島アートセンター」の初代理事長でもありました。
「前島アートセンター」があった前島三丁目は若狭公民館の徒歩圏内で、1990年に暴力団の抗争で高校生が銃弾の犠牲になった地域です。
「前島アートセンター」は、その事件をきっかけに廃(すた)れていく街を再び活性化すること、そして沖縄のアートシーンを盛り上げることを目指して活動していました。


「アーティストやミュージシャン、演劇人のほかにも、建築家、都市計画や街づくり関係の教育者など、社会に課題意識を持つ幅広い分野の人たちが出入りしていました。
夏休みには子どもを対象にワークショップもしていました。私も最初は作品を作っていましたが、だんだん場づくりや企画運営のほうがおもしろくなっていったんです」
生きづらさを抱える人たちが公民館に来ていないのはなぜか
前島アートセンターで活動を続けながら、アルバイトのような形で若狭公民館に関わり始めた当初、宮城さんはある違和感を感じていました。
「アートセンターには、生きづらそうにしていた人たちとの出会いが多くありました。
ギャラリーの外には昼間から酔いつぶれて寝ている人もいたし、保護者が帰ってくる夜遅い時間までカフェで軽食を食べている小学生がいるのも日常でした。
演劇やダンスの練習をしている高校生たちは、きっと学校の価値観に収まらないアウトローだった。でも、公民館に行ったら、そういう人と出会うことがなかった」
公民館を利用するのは、時間的にも経済的にもゆとりのある高齢者が多く、生活基盤が脆弱(ぜいじゃく)な中で生きづらさを抱える人たち、子どもや若者たちも公民館では見られなかったのです。
「税金を投入した公的な施設である公民館に、生きづらい人たちが来ていないのはなぜなのか。生きづらさを抱える人、若い人が来られるような工夫や努力をなぜしないのか。そこに憤りを感じました。
アートセンターはほとんど持ち出しで活動していましたから、予算のある公民館の中にいる人が本気になればなんでもできるじゃないか、公民館をちゃんと機能させたいと思ったんです」
宮城さんは、学生のころにバイク事故で松葉杖生活を余儀なくされたとき、あることに気がつきハッとしたと言います。
「自分が松葉杖で生活していると、今まで気づかなかった松葉杖や車椅子の人に気づくようになりました。妻が妊娠してはじめて、世の中に妊婦さんってこんなにいたのか、と気づきました。
自分には見えていない世界があるということをわきまえながら、常に想像力を働かせるようにしていないと気づかないことがあるんだと思います」
若狭公民館では、館長の宮城さんが前島アートセンターでつちかったネットワークを使いながら、多文化共生、防災、子どもの居場所と体験活動、高齢者の居場所など一つひとつの取り組みをていねいに組み立て、発信にも力を入れています。