空き家物件が変身した「美大生駄菓子屋」って何? 子どもや高齢者をつなぐ場所になった理由

シリーズ「令和版駄菓子屋」#4‐2 「大学生駄菓子屋」~駄菓子屋ハブ~

ライター:遠藤 るりこ

約100年続いた理容室は地域の中心

駄菓子屋ハブ(以下、ハブ)の店舗となった黄色い建物は、もともとは3代続いた理容室でした。足を踏み入れると、その名残が随所に感じられます。

「鏡やシャンプー台はなるべくそのまま活用しています。目に見えるものを残すことで、時を超えて当時の心境に戻れるようで、地域のみなさんが懐かしくここでの思い出を話してくれるんです」(福本さん)

福本さんが、特に印象に残っているのが、元のオーナーがハブの店舗に入ったとき。店を見て、涙を流されていたそうです。

「理容室として賑わっていた時代、空き店舗になった時代、僕らの手で実現する新しい交流空間になった現在。さまざまなことを思い出されていたのではないかと思います。この空間に対する元のオーナーさんの気持ちが伝わってきました」と福本さんは語ります。

今年(2023)の春に92歳で亡くなられたオーナーさんのお母様もハブに訪れてくれて、「きれいになったね」と喜んでいただけました。

「地域や店にまつわる昔の話をきちんと聞き取って、次世代に引き継いでいきたい」と、福本さん。

「テレビが出始めのころにみんなで集まって見たり、時折、ご近所さんがお風呂を借りにくることもあったり、ここは集落の中心地だったんです。髪を切りに行く理容室としてだけの役割ではなく、人が行き交って集う場所だった。

ハブも、現代版としてこの地域のコミュニティの中心地の1つになれたらいいですよね」(福本さん)

シャンプー台を改造した商品棚。店舗中央の大きなテーブルを挟んで、一方の棚では駄菓子を、一方の棚では学生作品を展示・販売している。  写真提供:駄菓子屋ハブ
1939~1940年の理容室だったころ。「理容室を専門とする前は、お菓子などを売る駄菓子屋の事業をされていた時代もあったようで、縁を感じます」(福本さん)  写真提供:元のオーナー

子どもたちの生活に馴染んできた実感

開店から1年。店が子どもたちの生活の一部になってきたことを肌で感じると話してくれたのは、長岡造形大大学院博士課程2年生の堀川強(ほりかわ・つよし)さんです。

「子どもたちの会話を聞いていると、学校でも店(ハブ)が話題になっているんだなというのがわかります。

これまで放課後は児童館やコミュセン(コミュニティセンター)に直行していた子たちが、『まずはハブで集合ね!』なんて言って、ここを待ち合わせ場所にして遊びや付き合いが広がっていくのが嬉しいですね」(堀川さん)

「新しい場所ができて、地域の人たちが動き出し、住民のみなさんの期待値がわっと高まるのを感じた」と、福本さん。

ハブという拠点ができたことにより、子どもたちを見守る目が増えたことも大きな変化です。近所の警察官やコミュニティセンターの職員が、子どもたちの様子を聞きに、ハブに訪れることも。

「僕らとそういう方たちとでは、子どもたちを見る“視点”が異なります。子どもたちって学校や家庭、店(ハブ)でそれぞれの過ごし方をしていて、振る舞いも違うんですね。

それぞれの視点で見た子どもたちの情報を共有することで、見過ごしてしまいそうなネガティブな出来事を未然に防ぐ発見ができることもあります」(福本さん)

駄菓子屋の魅力はもちろんのこと、ものづくりをしている大学生が近所に登場したことは子どもたちにとって大きなニュースです。

「期せずして、子どもたちの可能性を広げる環境作りにも一役買っていると感じます。学生たちの作品に触れるのも他にない機会だと思いますし、夏の終わりには小学生たちが自分の自由研究を展示するスペースも設けたりしました。子どもたちがワクワクする場所になっていたらいいな、と思います」(福本さん)

福本さんのもくろみどおり、ハブの存在が地域の起爆剤となりつつあります。

駄菓子だけでなくレトロなコインゲームも、子どもたちのお目当て。「可動品だと高いので、壊れたものを買って青空修理をするんです。散歩中の人から話しかけられたりするのが嬉しい」(福本さん)  写真提供:駄菓子屋ハブ
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