赤ちゃんの脳の発達 コロナ禍のマスク生活が奪う学びの機会とは?
京都大学大学院・明和政子教授「コロナ禍での乳幼児の脳と心」#1〜マスク生活が及ぼす影響編〜
2022.05.06
京都大学大学院教育学研究科教授:明和 政子
コロナ禍で、2020年からもう2年以上も続く「新しい生活様式」。他者と身体的距離をとる、マスクをする、手洗いをする等、子どもたちの暮らしも例外ではありません。
2022年2月には、全国知事会が「2歳以上の園児にマスク着用の推奨を」と国に求めた発言が物議を醸しました。
「確かに感染症対策としては有効かもしれませんが、幼い子どもが正しくマスクをつけることは難しいですよね。こうした話題が上がるとマスク着用の是非に焦点がいきがちですが、本来私たちが考えるべきなのは、脳の発達途上である時期の子どもたちにとって,マスク生活がどんな影響をもたらすのか、という点にあります」(明和教授)
今回は、脳と心が急激に発達する乳幼児期に焦点を当てて、京都大学大学院教育学研究科の明和政子教授にお話を伺いました。
※全3回の1回目
乳幼児期の環境は脳に直接影響する
コロナ禍で生活が大きく変化した今、明和教授は、「わたしたちは,人類がこれまで経験したことのないほど大きな環境変化に直面しています」と危機感をあらわにします。
「ヒトという生物は、およそ20万年前に地球上に誕生しました。ヒトは、妊娠や授乳、食事、抱っこなど、自分以外の他者との『密』や触れ合いを基本とする環境の中で進化してきた生物です。
2020年5月に提案された『新しい生活様式』は、人類が進化してきた環境とはまったく異なっています」(明和教授)
「進化」というと壮大すぎて、現代を生きる私たちには一見他人事のように思えるかもしれません。しかし、言葉の獲得や愛着の形成など、一人一人における「発達」も、じつは進化の産物なのだと明和教授は言います。
「とりわけ、乳幼児期の脳の発達には『密』=身体接触が不可欠です。子どもは環境の影響を受けながら、脳や心を発達させていきます。
脳が発達する過程では、環境の影響をとりわけ強く受けやすい、ある限定された時期があるんです。これを脳発達の『感受性期』といいます」(明和教授)
「脳発達の構造をボールと斜面に例えてみましょう。凹凸のある斜面を『環境』に、ボールを『脳』だとイメージしてください。
年齢を経るにつれて,ボール(脳)は、斜面(環境)の影響受けながら,コロコロと安定した状態に向かって(発達して)いきます。
やがてボールは、1つ目の「分岐点」に差し掛かります。ここが乳幼児期にあたる、最初の感受性期ととらえてみましょう。環境の影響次第で、これから進むべきコースが決まる重要な時期です。
分岐点から先は、たとえば2つのコースに分かれていると仮定します。便宜的に、右側のコースを「非定型」、左側のコースを「定型」の発達の道すじととらえてみます。
ボールが分岐点に差し掛かった時に、たまたま左から強い風が吹けば、右側のコースへとボールは転がりやすくなります。風は『環境』の例えですが、ここでは左から吹く風にさらされる状態を『不適切な環境』と考えてみましょう。
この分岐点で、ボールが不適切な風(環境)の影響を受けて「非定型」の発達方向に転がってしまうと、その後で、反対側からの風(適切な環境)をいくら吹かせても、左側の「定型」発達に近づけることは容易ではなくなります」(明和教授)
最初の感受性期にあたる乳幼児期にどのような環境で過ごすかが、その後の脳発達に直接的に影響することもわかっています。
では、実際に脳内ではどのような変化が起きているのでしょうか。
脳神経細胞の数は胎児期〜生後数ヵ月が人生最多
考えたり理解したり、覚えたりといった脳のはたらきは、脳内にある多くの神経細胞が互いに複雑につながりあいながら、情報を伝達することによっておこると知られています。
「実は、人生でもっとも脳の神経細胞が多い時期は、胎児期から生後数ヵ月といわれています。
しかし、数だけ多くても脳はうまくはたらきません。生まれ落ちた環境によって、情報処理によく使われるネットワークのみが生き残り、あまり使われないネットワークは消えていくのです。
こうした現象は『刈り込み』とよばれています。つまり、生きる環境に適応した脳へと変化するということ。環境の影響を受けて刈り込みが顕著に進む時期、これが脳発達の『感受性期』なのです」(明和教授)
経験する環境によってそれぞれの脳のネットワークが決まっていくとしたら、乳幼児期の環境は非常に大切であることがよくわかります。