【黒柳徹子さん動画メッセージつき】『窓ぎわのトットちゃん』40周年を振り返る
話題がいっぱい!『窓ぎわのトットちゃん』の40年間とこれから
2022.03.13
戦後、日本でもっとも売れた本、そして全世界で2371万部をこえるベストセラーでもある『窓ぎわのトットちゃん』。2021年3月、刊行40周年を迎えました。黒柳徹子さんがご自身の小学校時代をえがいた自伝的な作品です。
80年代にご自身がふきこまれた朗読のカセットテープがオーディオブックになったり、LP『音楽物語 窓ぎわのトットちゃん』がCDとなってまた発売になるなど、うれしいニュースがいっぱいだった40周年を振り返ります。
フォロワー113万人! 徹子さんご自身のインスタでも40周年の話題がいっぱい
うれしいトットちゃん40周年に黒柳徹子さんからのメッセージ
2021年8月、こちらも創刊40周年を迎えた雑誌「with」。
スペシャルな撮影にお邪魔し、黒柳徹子さんから、読者のみなさんへメッセージをいただきました。
『窓ぎわのトットちゃん』40周年によせて、黒柳徹子さんからメッセージ
黒柳徹子さんと『窓ぎわのトットちゃん』のあゆみ
1939年 尋常小学校(現:公立小学校)を退学、トモエ学園1年生に転校する
1945年3月 青森県三戸郡(現・南部町)の諏訪ノ平に疎開
1945年8月 終戦
1953年(昭和28年)1月 テレビ女優第一号の一人としてNHK放送劇団の一員に
1953年2月1日 テレビ放送開始
1971年9月 1年間のニューヨーク留学へ
1974年8月8日 いわさきちひろ 亡くなる
1976年 『徹子の部屋』(テレビ朝日)放送開始
1977年9月 「いわさきちひろ絵本美術館」開館
1978年 音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)放送開始 久米宏と司会を務める
1978年11月 雑誌「若い女性」で「窓ぎわのトットちゃん」連載がはじまる(1979年1月号から1980年12月号まで)
1981年3月 単行本『窓ぎわのトットちゃん』出版
1981年 黒柳徹子さんが印税全額を寄付し、「社会福祉法人トット基金」設立
1982年 音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』初演 (作・構成:黒柳徹子・飯沢匡 作曲:小森昭宏)
1984年 故・緒方貞子さん(国連難民高等弁務官)が『窓ぎわのトットちゃん』をユニセフ事務局長だったジェームス・グラントさんに紹介したのが縁となり、ユニセフ(国際連合児童基金)親善大使に
1985年 ポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」を受賞
1987年8月1日 映画『トットチャンネル』(監督・脚本:大森一樹 主演:斉藤由貴)公開
1995年2月 いわさきちひろ美術館 二代目館長に就任
2003年 中国語版『窓辺的小豆豆』発売。2008年より日本の本としては唯一、中国教育省の指定図書に
2016年4月 テレビドラマ『トットてれび』(NHK総合テレビ)放送開始 (脚本:中園みほ 主演:満島ひかり)
2016年7月 安曇野ちひろ公園(松川村営)にトットちゃん広場ができる
2017年春 中国語版『窓辺的小豆豆』1000万部突破
2017年10月 テレビドラマ『トットちゃん!』(BS朝日)放映開始 (出演:清野菜名 松下奈緒)
2021年3月 出版40周年
黒柳徹子さんと『窓ぎわのトットちゃん』。
40周年をこえてこの先もずっとずっと、楽しいニュースが続きますように!
どんどん広がるトットちゃんの世界
『窓ぎわのトットちゃん』のお話
<トットちゃんは、小学校一年なのに退学になった。一年生で!>
ママが新しい学校を一生懸命探した結果、通うことになったのはトモエ学園。
話すことがなくなるまでお話を聞いてくれた小林校長先生が好きになって、トットちゃんはこの学校に通うことにしたのです。
電車の教室、好きな教科から学んでいい授業、それぞれの違いを認めながら、みんな一緒に楽しめる工夫とアイディアがいっぱいの学校で、トットちゃんとトモエの友だちは、自由に育っていきます。
そして「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」という小林先生が折りにふれて語った言葉は、トットちゃんに、大きな自信をあたえてくれました。
トモエ学園での教育と、そこで学ぶ子どもたちの生き生きとした姿を描いた、黒柳徹子さんの自伝的ノンフィクションです。
難しい漢字にふりがなつきの児童文庫版
文字が大きくなって読みやすくなった講談社文庫版
トットちゃんと同じ年齢の小さいお子さんへ。黒柳さんの気持ちがこめられた絵本
黒柳徹子さんご自身の朗読によるオーディオブックも発売に!
大きな感動を呼んだオーケストラと語りの「音楽物語」もあらたにCDになりました
「トット基金」--聞こえる人も聞こえない人も一緒に
社会福祉法人トット基金は、『窓ぎわのトットちゃん』の印税をもとに設立されました。黒柳徹子さんが理事長をつとめています。
<トット基金では二つの大きな事業をやっています。
一つめは、就労継続支援B型施設「トット文化館」の運営です。トット文化館では、利用者の皆さんが、野菜や花を育てて販売したり、エコ袋を作ったり、職員と一緒に様々な作業をしています。館内では、聞こえる人も聞こえない人も、手話で話をしています。静かなのに、とても賑やか。それがどんな風に素晴らしいか、ホームページをご覧頂き、よろしければぜひ遊びにお出で下さい。手話を習いたいかたのための手話教室もあります。
もう一つの事業は、「日本ろう者劇団」の運営です。日本ろう者劇団では、俳優達が、日本の伝統芸能でユネスコの世界無形遺産にもなっている狂言や、そのほかの演劇を手話で演じ、全国各地で公演しています。ろう者の俳優が、テレビにも出演して手話の普及につとめています。聞こえる人も聞こえない人も一緒に楽しめる演劇を作ったことで、文化庁芸術祭賞や内閣総理大臣表彰も受けました。 また世界の色々な国からお招き頂いて、手話狂言を披露しています。>
(社団法人トット基金ホームページより)
トットちゃん関連記事
黒柳 徹子
東京・乃木坂に生まれる。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサートマスター。 トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI(メリー・ターサイ)演劇学校などで学ぶ。 アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのアメリカのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウイーク、ニューヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は49年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成。アメリカ、イギリスなどの英語圏、ドイツ、ロシア、中国語圏、アラビア語圏など、20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国連児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長など。文化功労者。 (写真/下村一喜)
東京・乃木坂に生まれる。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサートマスター。 トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI(メリー・ターサイ)演劇学校などで学ぶ。 アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのアメリカのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウイーク、ニューヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は49年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成。アメリカ、イギリスなどの英語圏、ドイツ、ロシア、中国語圏、アラビア語圏など、20以上の言語に翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国連児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長など。文化功労者。 (写真/下村一喜)
いわさき ちひろ
1918年福井県に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校卒業。藤原行成流の書を学び、絵は岡田三郎助、中谷泰、丸木俊に師事。子どもを生涯のテーマとして描き、9600点余の作品を残す。1974年逝去(55歳)。1977年、アトリエ兼自宅跡に、ちひろ美術館・東京開館。1997年、安曇野ちひろ美術館開館。 (写真提供/ちひろ美術館) ちひろ美術館 https://chihiro.jp/
1918年福井県に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校卒業。藤原行成流の書を学び、絵は岡田三郎助、中谷泰、丸木俊に師事。子どもを生涯のテーマとして描き、9600点余の作品を残す。1974年逝去(55歳)。1977年、アトリエ兼自宅跡に、ちひろ美術館・東京開館。1997年、安曇野ちひろ美術館開館。 (写真提供/ちひろ美術館) ちひろ美術館 https://chihiro.jp/