STU48の峯吉愛梨沙 音痴も人見知りもポジティブに克服した天才

#3 アクターズスクール広島のボイストレーナー田中都和子先生に聞く!

4歳からアクターズスクール広島に通い始め、STU48のメンバーに正式加入するまで、8年間に渡りダンスや歌のレッスンを続けた峯吉愛梨沙(みねよしありさ)さん。ダンスは初めから得意でしたが、どうしても歌がうまく歌えませんでした。

アクターズスクール広島で、峯吉愛梨沙さんの担当となったボイストレーナーの田中先生は、初めて彼女の歌を聞いたとき、「こりゃ無理だ」と頭を抱えてしまいます。

しかし、峯吉さんは諦めませんでした。落ち込むことなく、むしろ闘志を燃やして、コツコツと努力し続けます。この強いメンタルは、どのようにして培われていったのでしょうか。

第3回では、「苦手克服」に成功した理由とともに、峯吉愛梨沙さんの強さの秘密に迫ります。


1回目2回目はこちら

「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」での秘策

スクール時代には、1つの歌をパート分けし、複数人で「歌い分け」をすることがあります。ところが、オーディションに落ちることが続いた子は、「私はこのパートを歌わない。ダンスに専念する」などと、合格するために知恵をしぼるようになり、自分の見せ方を考える人も出てきます。

「どうしたら、自分のいいところが出せるか?」と、子どもなりに自己プロデュースするようになるのです。これは、同じように競う仲間がいるスクールならではの現象かもしれません。

「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」に出場して歌っている峯吉愛梨沙さん。表情も衣装もかっこよく決まっています。  写真提供/TBS

峯吉さんが「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」(歌唱力コンテスト)のファイナリストに残ったときも、「人とは違う個性」を出せる歌を歌ったことが功を奏しました。

「人とは違う、私ならではの高音を出せる歌を選んだんです。それで審査員の方に評価してもらえて、STU48を知らない、他の48グループのファンの方たちからも『あのコンテストで知ったよー』と言ってもらえたのがうれしかった。『次は絶対に結果を残そう』と思って、1年間頑張りました」(峯吉さん)

とはいえ、歌に苦手意識があった峯吉さん。最初に出場した「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」では予選敗退、2回目の歌唱力で決勝進出8位に終わります。3回目は予選総合13位、4回目では予選敗退となりファイナルには進めず(令和5年現在は、再び決勝戦に出場できることになりました)。苦手な歌に向かって努力し続けるにあたり、途中で嫌になったりすることはなかったのでしょうか?

「もともと歌には苦手意識があったし、自分はダンスが得意だと思っていたから、正直、『歌は嫌い』でした。でも、『歌唱力コンテスト』で審査員の方から『この子の歌はよかった』と言ってもらえたんです。それが、初めて歌を好きになれた瞬間だった気がします。そして、いつのまにか好きになっていました」

「花は誰のもの?」で公演中の峯吉愛梨沙さん。峯吉さんの表情から公演を楽しんでいる様子が伝わってくる。  写真提供/STU

自分に合う歌がわかった。それで、ほめてもらえた。1つひとつステップを踏んでいくように、自分なりの魅力や強みを見つけて、峯吉さんは自信をつけていきました。

田中先生も補足します。

「彼女の場合は、高音の伸びがすごくよかったんです。だったら、それを活かせる曲を探せばいい。彼女に限らず、10人いたら、10人それぞれに必ず1つはいいところがあるんです。音痴でも声の質がいい、高音が出る、低音が美しい、発音がいいなど、必ず1つはいいところが出てきます。それを武器にすればいい」

苦手を克服する楽しさは、「自分らしさ」を見つけることかもしれません。

では、峯吉さんは、どんなところに「楽しさ」を見出していたのでしょうか?

「自分が嫌いだと思っていたこと、できなかったことをほめられたのが一番うれしかったです。そこで『楽しい』と感じられて、『もっと成長したい』と思うようになりましたね」(峯吉さん)

5年目にして初めて少人数選抜に選ばれた「花は誰のもの?」というシングル曲、表題曲を歌う峯吉愛梨さん。  写真提供/STU

成功体験を重ねてこそ、やりたいことが増えていく

「苦手なことはやらなくていい」「得意なことを伸ばせばいい」という考え方に異を唱えるのは、田中先生も同じでした。

「私は、頑張って苦手なところを克服していくことは、大事だと思っています。そのほうが、より選択肢を広げることができるので」(田中先生)

峯吉さんは、別の先生にも同じことを指摘されたと言います。

「最近、ドラムもはじめたんですけど、ドラムの先生にも言われました。『リズム感はもともといいから叩けてはいるけど、あなたには苦手なところもある。得意なところを伸ばすだけじゃなくて、苦手なところを克服していかないと先に進めない』と。あらためて、苦手の克服って大事だなと思いました」

アクターズクール広島に入学したきっかけも、「人見知りの克服」でした。これもいわば苦手の克服。今はもう克服できたのでしょうか?

「人見知りという部分では、ファンの人に、気持ちを伝えることができていなかったので、『この子は何を考えているんだ?』と思われていた気がします。そこを変えなきゃダメだと思うようになりましたね」(峯吉さん)

何がきっかけだったのか?

「他のメンバーが、すごくファンの方々への思いが強くて。私は中学1年からだったので、最初はプロ意識が足りなかった。他の中学生とは違う活動をしているのがうれしかったり、歌って踊れるだけで楽しかったりしたので。でも、STU48に入ったら、歌とダンスがうまいだけじゃダメなんだと気づきました。ファンの方を楽しませるための、コミュニケーション能力が必要だなと思うようになりました。20歳を超えた大人メンバーは、どうしたらSTU48を知ってもらえるかというのを真剣に考えていたり、グループのために自分に何ができるかを模索していたり。その姿を見て、私も考え方が変わりました」

「昔より明るくなったけれど、まだ自分の気持ちを人に伝えるのが苦手」という峯吉さん。それでも、「一度会ってしまえば2度目からは大丈夫になりました」と、人付き合いにおいても変化を感じている様子。

では今、峯吉さんが、現在進行系で「苦手克服」していることとは?

「私は声質が特徴的で。歌える曲の幅が狭いので、選曲に左右されてしまうんです。だから他のSTUメンバーよりも声質を太くして、もっと大人っぽい曲に挑戦したり、もっと歌える曲の幅を広げたい。それにより、レパートリーが増えたらいいなと思います」(峯吉さん)

ミュージカルに出演した頃。感想や反省がノートに残されている。  写真提供/峯吉愛梨沙

最後は、ポジティブさと練習を続けられる才能が勝つ!

田中先生にお聞きします。声質を太くすることって、できるものなんですか?

「それを今、一生懸命に取り組んでいます。年齢にあった大人っぽい歌を歌えるようにするのが目標です。峯吉さんは、他のメンバーのように大人っぽい声が出したいと言うんですが、逆に、他のメンバーは彼女のような伸びやかな地声が出せるかといったら、出せないんです。地声の強さは彼女のいいところとしてちゃんと残して、それとは別に、もうちょっと違う大人っぽい声も出せるように練習すれば、曲の幅は広がるでしょう」(田中先生)

「練習を続けられること自体が才能だ」と言われる音楽の世界で、「こんなに練習できる人はいないと思う」と力強くほめる田中先生。

「振り返ると、STU48に加入する前、峯吉さんがスクール内のオーディションに初めて合格したのが小学5年生のとき。みんなで大喜びしたのを覚えています。その後、ユニットを組んで初めて合格し、その次もまた別のユニットで合格し……と一歩ずつ進んでいきました。こうした成功体験があったからこそ、彼女の中で『次は必ず合格できる、次は成功する』という気持ちを大きくしていけたんだろうなと思います。そして、親御さんは客席で祈るような思いで見ていたはず。親も子どもの成功体験を味わうことで、一緒に成長していかれたのかなと思います」

最後に、田中先生はこう締めくくります。

「指導者からすると、歌の才能があるかどうかは、子どものころはみんなだいたい似たようなもの。今の時代、カラオケで上手に歌える子も多いのですが、じゃあ実際にステージの上に立って歌えるか? といったらできない。経験がないんだから、できなくて当たり前です。だから、歌に関していえばスタートはどの子も同じくらいのレベルなんです。スタートラインが同じなんだから、諦めない子、頑張る子が強い。それにはやはり保護者のかたのサポートが必要だなとは感じますね。『落ちてもいい。次頑張ろう』とプラス思考になれる親子が強い。明るく前向きに叱咤激励してくれる親御さんの存在って、やっぱり大きいなぁと思いますね」(田中先生)

初めてオーディションに合格したとき、峯吉さんの親御さんは、こう言ったそう。

「峯吉愛梨沙の時代が来たね!」

いつも明るい峯吉親子です。

「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」で知名度を上げた峯吉さんは、広島県安佐南警察署の広報大使に任命され、広島の花のイベント、フラワーアンバサダーを務めるなど、活動の場も広げています。また、好きだった洋服のデザインにも関わる夢も叶えました。

さらに、STUのプロデュ―サーさんが、こんな話も教えてくれました。

「先日、急遽メンバーが出演できなくなった公演に、峯吉さんが代演として出演することがありました。峯吉さんにはすぐに対応できる実力と柔軟性があり、短時間でも即座に準備をしてステージに立っています。

8枚目のシングルでは選抜入りして、自分のポジションを保つことができましたが、選抜に入れなかった5年間で得た小さなチャンスのつかみ方も忘れていません。あらゆるポジションを任せることができるので、パフォーマンスイベントでは安心できる存在です」

2020年10月からの1年間、広島県安佐南警察署の広報大使に任命され活躍した峯吉さん。「特殊詐欺に注意しましょう」などとツイッターで呼びかけました。警察の制服も似合っています。  写真提供/STU

苦手なことを避けずに克服したことで、活躍のステージを広げ続けている峯吉愛梨沙さん。これからも、どんどん成長していく姿を見せてくれることを楽しみにしています。

取材・文 須貝誠、鈴木久子

峯吉愛梨沙さんの連載は全3回
1回目を読む 
2回目を読む

苦手の克服に挑んだことで、確かな自信と、努力を積み重ねる大切さを手にした峯吉愛梨沙さん。今後ますますの成長と活躍が楽しみです!  写真提供/TBS

峯吉愛梨沙(みねよしありさ)
STU48メンバー
2004年9月2日広島県生まれ。STU48加入前は、2009年「アクターズスクール広島」の21期生として加入。田中先生のレッスンを受け音痴の克服に励む。

2017年3月19日、STU48第1期生オーディションの最終審査の仮合格者となる。2017年3月20日「アクターズスクール広島」のスクール生としての活動を終了。2017年3月31日、STU48の正式メンバーに決定。2022年2月11日、STU48の8thシングル曲「花は誰のもの?」で、初の少人数選抜に選出される。

2022年には、モデルの仕事をすることと、好きな洋服のブランドとコラボしてグッズを作るという夢を実現。ファッション会社「エヴァヴィンテージ」とコラボし、高校生社長として洋服をデザインし販売する。現在も、STU48のメンバーとして活躍中。

峯吉愛梨沙さんの歌の指導を担当している田中都和子先生。  写真提供/アクターズスクール広島

田中都和子(たなかとわこ)
「アクターズスクール広島」所属。ボイストレーナー。
エリザベト音楽大学大学院修了。在学中より演奏会にソリストとして出演。ソロ、ジョイントリサイタルも数回開催。オペラでは「コシ・ファン・トゥッテ」(ドラベッラ役)でデビュー。他多数出演。日本国内のみならず、海外においてもコンサートを開催。
演奏活動をするほか、舞台監督として舞台製作にも携わる。クラシック以外では、バックコーラスなどでテレビ、ラジオ番組に出演。各地でボイストレーナーとしても活躍。多くの生徒を様々さまざまな分野に輩出している。現在、アイドルグループSTU48メンバーの峯吉愛梨沙もそのひとり。峯吉愛梨沙の在籍中、彼女の音痴克服に努め成果を上げる。
現在も、ASH、AGHグループ他のボイストレーナー。現代音楽演奏集団HER、スーパー・ファクトリーに所属し活躍、STU48のボイストレーニングにも携わっている。