「コロナは、バックミラーに映っている存在」という意味の英語のフレーズをよく耳にする、と語るアメリカ在住の作家・小手鞠るいさん。アメリカの楽観主義的な側面を見つめつつ、食文化の魅力とその背景にある動物愛護の精神を解説、自身の著作「うさぎのお店やさん」シリーズが生まれたきっかけを紐解きます。
コロナはすでに過ぎ去ってしまった景色?
最近のアメリカではもう誰も、コロナを話題にしなくなっています。コロナウィルスそのものは消えてはいませんが、コロナ禍は終わった、という感じです。
「コロナは、バックミラーに映っている存在」という意味の英語のフレーズをよく耳にします。つまり、コロナとは、フロントガラスの向こうに広がっている景色ではなく、すでに過ぎ去ってしまった景色として背後にある。
要は、もう誰も気にしなくなったのです。終わらないコロナ禍は、気にしないことによって終わる、ということでしょうか。こういうアメリカの楽観主義が私はけっこう気に入っています。
グルメ大国に変わったアメリカ
アメリカへ移住してから、かれこれ30年ほどが過ぎました。当初は、夫が大学院を修了したら日本へ戻るつもりだったのですが、ニューヨーク州の森にすっかり魅せられ、森の中に終の住処を得て、現在に至ります。
渡米したばかりの頃には「こんなにも食べ物がまずい国に長く住めるはずはない」と思っていました。とにかく、何もかもがまずかった。
野菜だって、サイズが大きいだけで、味がないし、レストランへ行ってメニューを開いても、やたらにでっかいハンバーガーと、ぱさぱさのサンドイッチと、茹で過ぎのスパゲティくらいしか載っていなかった。
でも、最近では、日本も顔負けのグルメ大国になっています。これ、嘘みたいな本当のお話。
パン屋さんとケーキ屋さんの変化
中でも目覚ましい変化があったのは、パン屋さんとケーキ屋さんです。いわゆるベイクド・グッズのお店。アイスクリーム屋さんとチョコレート専門店も含めておきましょう。
十数年くらい前までは、パンもケーキもチョコレートも焼き菓子なども、本当に本当にまずかった。どこがどうまずいのか、詳しく書くだけで、このエッセイの紙幅が尽きてしまうほど。
たまに「まあ、これならなんとか食べられるかな」と思えるような品に巡り合うことがあったら、それは奇跡。だから私は、パンもお菓子も自分で作っていました。
もともと料理はそれほど好きでも得意でもなかったのですが、まずくないものを食べたければ、自分で作るしかなかったのです。
ところが今はその逆。美味しいパンやお菓子を食べたければ、車を走らせて、お店まで買いに行きます。近隣の町や村にはたいてい一軒か二軒、それくらいの割合で「めちゃめちゃ美味しい」パン屋さんがあり、ケーキ屋さんがあります。
経営しているのは若い人たち。若い夫婦。女性だけで切り盛りしているお店も多いし、コロナ禍の影響で、都会から人口の少ない田舎(私が住んでいるのも田舎)へ引っ越してきた人たちがオープンさせたお店も見かけます。
野うさぎが庭を走り回っているような村はずれの古い一軒家で、焼き立てのパンが売られています。まさに「うさぎタウンのパン屋さん」なのです。
ベジタリアン、ビーガン専門店が増加…その背景は
これに加えて、最近では、ベジタリアンのお店、さらに厳格なビーガン(卵や乳製品も排除)専門店も増えてきました。菜食主義の専門店ではなくても、菜食メニューに「V」の字を付けて、ベジタリアンに対応しているお店も多々あります。
菜食主義は、特にアメリカの若い世代のあいだで流行し、少しずつ、定着してきているようです。
その背景には、動物愛護の精神があります。「動物はフレンド。フードではない」「あなたは自分のペットを殺して食べられますか?」「牧畜業は地球温暖化の大きな原因」などと書かれたステッカーを車のうしろに貼り付けている人もいます。
このようなバンパーステッカーによって、後続車を運転している人や、駐車場を通りかかった人たちに、自分の主義主張を示しているわけです。
私自身もいつの頃からか、ベジタリアンになりました。と言っても、魚や卵やチーズは食べていますので、似非ベジタリアンです。が、牛、豚、鳥は食べません。日本へ帰国すると、いつも珍しがられますが、アメリカでは珍しくありません。
肉食をしない生活に慣れてしまうと「今までなぜ、動物を平気で食べていたんだろう」と、不思議に思います。また、散歩中に、牛や豚や鳥たちを見かけると「ああ、可愛いなぁ」と、心の底から思えます。同時に、可愛いこの子たちを「食べたい」とは到底、思えないわけです。
動物愛から生まれた作品群
児童書を書くようになってからは、ますます、ベジタリアン(似非ではありますが)になって良かったなぁと思えるようになりました。児童文学には、動物がよく出てきます。私も、可愛い動物のお話を書きたくなります。
でも、自分が動物を食べているとなると、そこには、思想と行為の矛盾が生まれます。なんの矛盾もなく、私は動物を愛でたいし、可愛がりたいし、子どもたちに対して、真の意味での動物愛を語りたいのです。
『うさぎのマリーのフルーツパーラー』を初めとする「うさぎのお店やさん」シリーズ全6巻は、このような私の動物愛から生まれた作品群です。
私の書くお話の中では、人間も動物も、動物を食べません。この思想を他人に押し付けるつもりは毛頭ないのですが、「動物は友だち。友だちは食べない」———世の中には、こういう奇特な人間が少数民族として存在していてもいいのではないか、それが多様性というものなのではないか。
アメリカの片すみで暮らすマイノリティとして、私はそう思っています。
写真 グレン・サリバン
小手鞠 るい
1956年岡山生まれ。1992年からニューヨーク州ウッドストック在住。やなせたかし氏が編集長を務めていた「詩とメルヘン」への投稿詩人として出発。渡米後「海燕」新人賞を受賞し、小説家に。代表作に『欲しいのは、あなただけ』『アップルソング』『炎の来歴』など。児童書に『ねこの町のリリアのパン』をはじめとする「ねこ町いぬ村」シリーズ、『うさぎのマリーのフルーツパーラー』『初恋まねき猫』『ある晴れた夏の朝』など。
1956年岡山生まれ。1992年からニューヨーク州ウッドストック在住。やなせたかし氏が編集長を務めていた「詩とメルヘン」への投稿詩人として出発。渡米後「海燕」新人賞を受賞し、小説家に。代表作に『欲しいのは、あなただけ』『アップルソング』『炎の来歴』など。児童書に『ねこの町のリリアのパン』をはじめとする「ねこ町いぬ村」シリーズ、『うさぎのマリーのフルーツパーラー』『初恋まねき猫』『ある晴れた夏の朝』など。