ママの実体験 妊娠22週493gで出産したリトルベビーママが不安の日々で得た希望

小さな赤ちゃんに寄り添う手帳「リトルベビーハンドブック」#3 ~リトルベビーのママの告白~

栃木県リトルベビーサークル「にちにちらんらん」代表:小林 恵

保育器の中で懸命にがんばる我が子にやさしくふれるパパ。  写真提供:小林恵(にちにちらんらん)
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2011年に静岡県のリトルベビーサークルのママたちが当事者として初めて制作し、今では全国に拡がっているリトルベビーハンドブック。

2500g以下で生まれたリトルベビーこと小さな赤ちゃんを対象とした、細やかな生育記録ができる手帳です。2023年8月現在、38都道府県で発行され、残る9県でも制作が検討されています。

2023年3月にリトルベビーブックを完成させたばかりの、栃木県のリトルベビーサークル「にちにちらんらん」代表・小林恵さんに話を伺いました。

※全4回の3回目(#1#2を読む)

栃木県版は完成ホヤホヤ! みなさんに知ってほしい!

とちぎリトルベビーハンドブックは2023年3月に発行されたばかり。作成にたずさわったのが、栃木県のリトルベビーサークルの「にちにちらんらん」のみなさん。代表は、5歳の男の子のママである小林恵さん。

「3月に完成したのですが、メディアにも多く取り上げていただきました。そのおかげで、リトルベビーのママはもちろん、そのお友だちや一般の方からもたくさんお声がけをいただきました。

少しずつですがリトルベビーのことをみなさんに知っていただいているなと実感しています。

私は2021年にInstagramで宮崎県のリトルベビーサークルの存在を知り、ぜひ参加したいと思ったことがスタートでした。

当時、栃木県にはなかったので、宮崎県のサークルにDM(ダイレクトメール)を送って『参加したいんです!』とお願いをしたところ、『栃木県にないなら作ってみませんか?』と後押しをしてもらって、国際母子手帳委員会の板東先生を紹介していただきサポートを受け、今に至ります」(恵さん)

「にちにちらんらん」のメンバーと。スクラップブッキングのワークショップをしました。  写真提供:小林恵(にちにちらんらん)

医師に命じられた突然の出産 戸惑いの中で

恵さんは、現在まさに子育て真っ最中。

「息子は5歳になってやんちゃ盛りですね。最近はやんちゃがすぎて、私はずっと𠮟ってばかりです(笑)」(恵さん)

そんな恵さんは、5年前(2018年)、初めての妊娠がわかり、日々、おなかの中の子と会える日を楽しみに過ごしていました。そんな妊娠22週目のある日、仕事帰りに行った妊婦健診で、突然、医師から入院を言い渡されました。

「すぐに赤ちゃんを取り出さないと、赤ちゃんもお母さんの命も危険です!」

自覚症状が全くなかった恵さんは、あまりの突然の出来事に選択の余地もなく、夫以外に連絡することもできず、翌日、帝王切開で493gの男の子を出産しました。

生まれたのは、赤いゼリー状の皮膚におおわれ、まさに皮膚と骨だけの状態の赤ちゃん。そして、さらに医師から告げられたのは、「お子さんが生きられるかは、この数時間が山です」という言葉。

だが、その数時間を越えても、次は1日、その次は3日、そして1週間……、と命をつなぐ山場が続きました。恵さんは1週間後には退院しましたが、その後、赤ちゃんは約半年の間NICU(新生児集中治療室)とGCU(回復治療室)にて看護を受けました。

入院時の日々を綴った我が子への愛があふれる成長ノート。  写真提供:小林恵(にちにちらんらん)

恵さんご夫婦が親や親戚に出産を報告できたのは、出産から約1ヵ月後。その間は、我が子の命の行方が見えず、報告する余力すらなかったと言います。

退院後の恵さんは、自分の体のケアもそこそこに毎日病院に通いました。

「最初に見た赤ちゃんは、保育器の奥でガーゼにくるまれた小さな赤い塊(かたまり)でした。抱っこはもちろん、ふれることもできない……。

私にできることは母乳を出して、それを届けることだけでした。とりあえず母乳を絞って赤ちゃんに届けるのが私の使命だと。

最初は、結構出たのでひたすら絞る! 3時間たったらまた絞る! みたいな感じでした。でも、体調が悪かったりして出なくなると、(ママなのにごめん……)と心の中で謝っていました。

子どものためにできることが母乳を届けることだけだったので本当に必死でした」(恵さん)

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