若き「離島の産婦人科医」 島での診療を目指した理由は「赤ちゃんが生まれない島は消えてしまう」から

奄美大島の産婦人科医・小徳羅漢先生に聞く「離島診療と島でのお産」 #1 離島診療を目指したきっかけについて

産婦人科医:小徳 羅漢

産婦人科医・小徳羅漢先生。  画像提供:小徳羅漢

九州の南部に位置する奄美大島で、産婦人科医として多忙な日々を送る1人の若き医師がいます。小徳羅漢(ことく・らかん)先生です。

小徳先生はこの離島で、妊婦健診から出産の立ち合い、月経困難症、更年期障害など、全般的な女性診療されています。そんな小徳先生の目指すゴールは、「お産のできる総合診療医」。

さまざまな離島医療の研修から、「離島医療を支えていきたい」と、総合診療医を目指すようになったと言います。

では、そもそも小徳先生が離島の医療に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか? 1回目では、現在の奄美大島での医療に行き着くまでの道のりをお話しいただきました。


(全3回の1回目)

小徳羅漢(ことく・らかん)
茨城県出身。2016年東京医科歯科大学医学部卒業後、鹿児島市の病院にて初期臨床研修を修了。2018年より「離島・へき地研修プログラム」2期生として長崎県上五島病院に所属。2019年4月〜6月にはオーストラリア・クイーンズランド州で研修を受ける。
2020年10月より鹿児島県奄美大島の県立大島病院にて産婦人科医として勤務。「暮らしの保健室」や「離島医療人物図鑑」の運営も行っている。

扉を開けたら診療所がある子ども時代

──まずは、医師になろうと思ったきっかけから教えてください。

小徳羅漢先生(以下、小徳先生):僕の生まれは茨城県の小さな町です。父はそこで診療所をしている医者で、家の扉を開けたら診療所という環境で幼少期を過ごしました。

父は、子どもからお年寄りまでを診る町医者で、自転車に乗って往診することも。そんな姿に憧れ、将来は自分も町医者になろうと自然に思っていました。

──離島医療に出会ったのはいつごろでしょうか?

小徳先生:神奈川県の進学校で過ごした高校時代に、伊王島に友達と行く機会がありました。とてもきれいな島でしたが、でもこの島にはお医者さんが住んでいないと聞いて。「朝、船で来て、夜にまた船で本土に帰ってしまう」と。

とても驚きましたね。僕は、扉を開けたらすぐ父の診療所があって、風邪を引いたらいつでも何かしてくれる環境で育ってきましたので、もしこの島で夜に病気になったり、怪我をしたらどうなるんだろう、と。そう思ったことが、離島医療を志すきっかけとなりました。

「茨城で診療所をしている父の手伝いをやっとできたときの1枚。父は、僕の最初の『ヒーロー』です」(小徳先生)。  画像提供:小徳羅漢

キャリアを見失った医学部時代

──そこから真っ直ぐに離島医療に向けて進んでいったのですか?

小徳先生:いえ、実は全然真っ直ぐではなく……。東京の医大に進んだら、地域医療に関する授業もなければ、実際に地域医療をしている先生に出会うこともなく。日々、大学病院での最先端医療を見る環境の中、自分自身も離島医療を志していたことなんてすっかり忘れてしまって……。

将来のキャリアが見えなくなっていた中で考えていたのは、幸せってなんだろうということ。最先端の医療で、明らかにダメかもしれないという人を救うような現場は、医者も患者も家族もシリアスな表情しかしない。僕は、皆が笑顔になる医療を提供しているところはどこだろうと考え、当時は美容外科や形成外科を進む先として考えていました。

オンライン取材中の小徳羅漢先生。

鹿児島での病院見学で離島医療を思い出す

小徳先生:気持ちが変わったのは、医学部5年生のときの病院見学です。鹿児島県の鹿児島市医師会病院で、初めて地域医療を身近に見ました。このとき、大学病院のようにピンポイントで「病気を治す」ことだけではなく、「患者さんをみて治療している」先生たちもたくさん見ることができました。

さらに、鹿児島はたくさんの離島があるのですが、そのひとつに甑島(こしきしま)があります。そう、あの「Dr.コトー診療所」のモデルとなった島です。しかも当時は、コトー先生のモデルとなった瀬戸上健二郎先生がまだ働いていらっしゃって。このとき自分が高校時代に離島医療をしたいと思ったことを思い出したんです。

「絶対、鹿児島に来ます。ここで勉強させてください!」とお願いして東京へ帰り、その後、研修医として鹿児島市医師会病院に戻ってきました。

Dr.コトーにも教えてもらった研修医時代

──研修医としての2年間は鹿児島の病院で過ごすことになるのですね。

小徳先生:はい。研修医中の1ヵ月間は甑島に行けるプログラムにも参加し、Dr. コトーこと、瀬戸上先生にもお会いして教えていただきました。

離島では、研修医とはいえ、医師として何でもやります。子どもも、お年寄りも診れば、レントゲンもCTも自分で撮ります。角度や距離を見ながら、患者さんにレントゲンの前に立ってもらっていました。大学病院なら、看護師さんや技師さんがする検査を自分がやることで、当たり前にやってもらっていたことへの感謝の気持ちを感じていました。

研修医時代、甑島の「下甑手打診療所」での1枚。写真中央が瀬戸上健二郎先生、一番右が小徳先生。  画像提供:小徳羅漢

小徳先生:ちなみに、鹿児島の病院で働いている医師は、みなさん若いときに離島で働いていた経験があります。だから、何が離島で役に立つかわかっているんですよね。大学病院だったら専門医がやっているような手技も、「これは知っていたほうがいいよ」と教えてくれるんです。

離島医療がしたいという僕の気持ちを汲んでもらい、当時は屋久島、種子島など、島での研修を積極的にやらせてもらいました。

そして、やればやるほど、島に必要なのは「総合診療医」だと思うようになってきました。多くの場面で、専門性よりも全身を診られ、さらに離島内の地域のことまで考えられる医者が必要だと痛感したんです。

ただ、総合診療医が必要なのは間違いないけれど、それだけでは何か足りない気もしました。

例えば、甑島のDr.コトーこと瀬戸上先生は、医師としては本当に素晴らしい人です。小さな島に、あれほどの先生がいたのは奇跡で。でも、甑島はどんどん人口が減っていて、少子高齢化が進んでいます。このままではいつか島民がいなくなってしまう……と、1ヵ月滞在しただけでも感じました。

偉大な先生がいても、少子化が進んでしまったのはなぜだろう。それを考えたとき、赤ちゃんが生まれない島は、人口が増えないという、当たり前のことに気づいて。

そこから、産婦人科が気になり出し、お産ができて、総合診療ができる医師になろう、と辿り着いたんです。

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紆余曲折ありながらも、高校生のときに志した離島医療への夢を取り戻し、その道を歩む決意をした小徳先生。

2回目では、実際に離島で生活しながら医療に携わって見えてくること、離島の妊婦さんの様子などについて伺います

取材・文/浅妻千映子

小徳羅漢先生の連載は全3回。
2回目を読む。
3回目を読む。
(※2回目は2023年12月20日、3回目は12月21日公開。公開日までリンク無効)

ことく らかん

小徳 羅漢

Kotoku Rakan
産婦人科医

茨城県出身。2016年東京医科歯科大学医学部卒業後、鹿児島市医師会病院にて初期臨床研修を修了。2018年よりゲネプロが運営する「離島・...

あさづま ちえこ

浅妻 千映子

料理研究家・ライター

料理研究家、フードライター。東京都出身。『dancyu』、『Figaro』、『Pen』、『サライ』等の雑誌やオンラインを中心に、主に食...