自分の感情をもてあます
しばらくすると、雨に降られた母が「ごめん、ごめん」と帰ってくる。なんのことはない、私が居眠りしている間に少し外に出ていただけの話である。断片的だけれど、はっきりと覚えているその光景。
すべてに共通しているのは、気持ちが高ぶっている瞬間だということ。「どうして一人にするの?」「怒られた理由がわからない」「褒められたいけど、つらい」。そんな風にまだ言葉にはなっていないけれど、その感情は3歳の時よりも明らかにずっと複雑で、だからこそ強く印象に残っているのである。
感情を丁寧に描くことで
ドキドキしながらもなんとか駅まで到着し、少し心の余裕ができた二人は砂丘に寄ってみることにする。ところが、ここで事態は急展開。こんが、目の前からいなくなってしまうのだ。犬にくわえられ、そのまま砂に埋められていたこんを必死で救い出すあき。どうしてこんなことが起きているのか、理解できない。
だけれど、あきはこんを背負い、まっすぐ前を見て歩き出す。早くこんをおばあちゃんのところに連れていかないと! あきなりに考え、出した答えを頼りに体を動かすのである。読み終わってみれば、見守られているのはこんの方。いつの間にか立場が入れ替わっている。
こんを頼っている時、戻ってこなくてどんどん不安になっていく時、やっと会えたおばあちゃんに顔をうずめている時。どれもが等身大の感情だからこそ、子どもたちはあっという間に共感し、夢中になり、大人ですら子ども時代の心境を思い出し、ドキドキしながらお話に入り込んでしまうのである。
もてあましているからこそ
経験したことのない感情、説明できない複雑な気持ち、そして生まれてくる周りへの気遣い。それらを消化しきれずに「もてあましている」からこそ、時に大人が驚くような態度をとったりする。
世にも恐ろしい姿をしているかいじゅうたちを従わせ、あっという間にその国の王さまとなり、心の限り遊び尽くす。やがて、やりきったマックスの鼻先に届くのは、懐かしいごはんのにおい。こうしてマックスは、無事に私たちのもとに帰ってくる。
けれど、その出発点にあるのは、この年齢の子どもたちの中にくすぶっている爆発的な感情であることは間違いない。その感情を上手に説明し、整理することができたなら、「かいじゅうたちのいる国」は生まれなかったのではないか。それほど魅力的な時期とも言えるのである。