【ギラン・バレー症候群体験談】「体が千切れるような」激痛リハビリを乗り越えて授業を再開 人気家庭教師・小堀正博さんが語る回復への道のりと“当たり前ではない”日常への感謝

俳優・家庭教師 小堀正博さんのギラン・バレー症候群闘病記 ~後編~ (2/4) 1ページ目に戻る

俳優・家庭教師:小堀 正博

「4トントラックに引かれる痛み」母と乗り越えた号泣リハビリ

「身体が動かせない上に、自律神経がおかしくなって、暑い・寒いが全くわからない。身体の下に氷枕を敷き詰めてもらっても、暑い暑いってずっと汗をかいているんです。体温調節ができなくて、寝られなかったのはしんどかったですね」(小堀さん)

入院中、体が動かせなかったときの闘病中の小堀さん。  写真提供:小堀正博
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ギラン・バレー症候群という稀な難病に倒れ、約4ヵ月の入院生活を余儀なくされた俳優の小堀正博さん。突如襲いかかってきた、わけのわからない難病と対峙した日々をこう振り返ります。

「自分では、本当に何もできなくて……。身体がかゆくてもかけないのが一番つらかったですね。

元気だったら僕らは無意識で、身体をかけるじゃないですか。そんな小さなことでも、自分でできることが普通で、なんて幸せなことなんだ、と」
(小堀さん)

初期に行った免疫治療が功を奏し、徐々に動かせる範囲が増えてきた小堀さん。加えて、奇しくも小堀さんのお母様が介護職に就かれており、倒れた直後から献身的なマッサージを行ってくれていました。

「寝たきりだったので、関節が固まってしまうと大変だと母がずっとマッサージをしてくれていたんです。面会時間の制限もあったのですが、時間中は目一杯してくれていました」(小堀さん)

治療と並行して徐々にリハビリを進めていくことになったものの、他者に身体を触られるだけで激痛だったと言います。

「不思議なんですが、動かせないのに感覚はあるんです。リハビリで足を5センチ持ち上げられるだけで激痛。例えると、前屈ストレッチをしている後ろから4トントラックにゆっくりじわじわ引かれて身体が千切れるような感覚です。もう、言葉では言い表せない痛みで。

でも、母は無理やりでも動かせって、僕が泣き叫ぼうが身体を動かしてくれていた。それも早い回復につながったのかなと思います」
(小堀さん)

なぜ病名を検索しなかったのか? 心を保つために断ち切った情報

身体のリハビリを続けながら、治療を進めていた小堀さんですが、心のコントロールはどうしていたのでしょう。

「僕は、ギラン・バレーという病気について一切検索しなかったんです。

家族から、『ギラン・バレーって、治る病気らしいよ』なんて言われて前向きになったりはしたんですが、やっぱりインターネットなどで調べると良くない情報も目に入るだろうから、気持ちが落ちてしまうだろうな、と思って。

僕は絶対に治すことしか考えていなかったので、今できることだけに目を向けようと思って、情報はシャットアウトすることにしました。

それと少し起き上がって、発声できるようになったら、個室の病室からオンラインで家庭教師の授業を再開しました。ペースも落として、1日あたり1、2時間ほどですが。

生徒さんと話すことで気持ちが明るくなりましたし、病気になる前にしていたことができたということが心の支えになりました。病気になっても大好きな家庭教師はできるんだな、って」
(小堀さん)

一方で、「同じ病に悩む方がギラン・バレーについて調べたときに、僕の経験が届いてくれたら」とも話します。

「やっぱり珍しい病気なので、さまざまな症例を探して、できるだけたくさんの人の経過を知りたいと思うでしょう。僕の場合は、心を守るために調べないことを選択したのですが、渦中にいるといろいろな考えや思いがある。悩んで苦しんでいる人が僕の話を聞いて、光になったらいいなと思っています」(小堀さん)

実際に自身の闘病経験を発信し始めると、100人を超える方から連絡が届いたと言います。

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