「こどもホスピスを作る!」と立ち上がる有志たちの感動実話 重篤な病の子どもが持つ「人を変える力」とは

「こどもホスピス」#5 ~こどもホスピスの現在地とこれから~

フリーライター:浜田 奈美

「LTCの子どもたちは支えられるだけの存在ではなく、周囲の人々を変える力があります。共に過ごすことで、病や命に対する理解を深め、他者への思いやりや想像力を育む場所を目指したい」

資金集めはこれから本格化しますが、地元の企業が、自社の土地を「候補地の一つに」と提案してくれています。

「目の前に海が広がる、素晴らしい場所。時間はかかりますが、必ず実現させます」

沖縄こどもホスピスのようなものプロジェクト」代表理事で小児緩和ケア医・訪問診療医の宮本二郎さん。  写真提供:宮本二郎さん
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地域性を考慮した「間借り方式」や切符の寄付

北の大地でも、NPO法人「北海道こどもホスピスプロジェクト」が、施設の開設を目指し、さまざまな取り組みを進めています。

北海道のプロジェクトの特徴は、札幌市内でひとまず「間借り方式」で病児とその家族を受け入れていることです。活動に共鳴した市民が無償で貸してくれている札幌市内のマンションの2部屋を、「くまさんち」と名付け、宿泊や休憩用に貸し出しています。

プロジェクト理事長の奥田萌(めぐみ)さんが説明します。

「北海道では主要な病院が札幌に集中している一方で、とにかく広いので、移動に4~5時間かかる地域から治療に来なくてはなりません。

北海道で闘病する子どもの家族は、心身の辛さに加えて経済的負担も大きいし、離れて暮らす時間も増える。家族の絆が希薄になりがちなので、そういう部分を少しでも支えることができたらと考えています」

例えば、札幌の病院で治療を受けるために、自宅から半日がかりで移動してホテルに前泊するケースや、退院当日の長時間の移動を避け、病院の近くで泊まってから、翌日に移動するケースが多いそうです。

ちなみにそんな現状を奥田さんたちがJR北海道の幹部に伝えた結果、「くまさんち」の利用者の移動費のうち、道内のJR料金を切符で「寄付」してくれることになりました。

プロジェクトの理事で、「くまさんち」の運営責任者の白坂るみさんは、自身の看護師経験から「家族ケア」の重要性を痛感していると言います。

「小児病棟で付き添う多くのご家族は、自宅から遠い病院までの移動負担に加え、自宅に残っているきょうだい児のことも心配しながら、子どもの治療生活を支えています。

『くまさんち』では、入退院の前後泊利用のほか、治療の合間などに、家族水入らずでお風呂に入るとか、温かい手料理で一息つくとかして、第二の我が家のように過ごしていただきたい」

「くまさんち」は2022年10月に運用を開始し、2024年4月に移転。同年12月末までにのべ35人が利用し、稼働率は約90日間でした。石川県や神奈川県から、北大病院での治療のために利用した家族もいたそうです。

病児ケアのガイドと車椅子でアウトドア体験

もう一つ、奥田さんたちが大切にしているのが、アウトドアイベントです。春や夏のキャンプや、秋のバーベキューイベント、冬の雪遊びなど、北海道の大自然を満喫できる催しを、四季ごとに開催します。奥田さんはこう話します。

「子どもは自然の中で遊ぶことが大好き。でも、たくさんのお子さんが病室や自宅にこもりきりです。でも幸い、北海道には病児のケアに詳しいアウトドアガイドがたくさんいます。家族もきょうだいも、みんなが一緒に楽しめるよう、私たちもガイドたちも、全力でサポートします」

筋ジストロフィーの長男・史弥くん(12)と共に、家族ぐるみで2023年からイベントに参加している苫小牧市の石森恵美さんは、「家族全員が楽しめるので、いつも楽しみです」と満面の笑みです。

史弥くんが電動車いすで生活しているため、家族で外出する際は、史弥くんが行ける場所に限られてしまいます。恵美さんはこう語ります。

「普段は車椅子だと無理だから行かない、となりがちですが、奥田さんのところでは『車椅子でもOK』と言ってもらえます。下の子も、きょうだい児同士で虫取りに走り回ったり、日ごろできていない遊びに夢中です。プロが子どもたちに寄り添ってくれるので、その間、親もリラックスできる。さまざまにありがたい機会です」

昨年11月には、プロ野球の日本ハムファイターズのファン感謝デーに招待され、プロジェクトへの寄付を、史弥くんが選手から直接、受け取るという特別な経験もしました。こうしてプロジェクトのイベントは、史弥くんにとっても、なくてはならないものになったそうです。

恵美さんは、「ひとつ終わるとすぐ、『次はいつ?』『お母さん、次のイベント申し込んだ?』と質問攻めです」と苦笑します。

そして現在の活動を深めつつ、奥田さんたちも「うみそら」のような自前の施設を目指しています。奥田さんはこう語ります。

「自分たちの場所があれば、必要な方にいつでも来ていただけます。家族の絆と負担軽減にフォーカスした『くまさんち』とはまた違った幅広いサポートを、実現できると思います」

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残された時間があとわずかだとしても、最後の瞬間まで、子どもらしく生きてほしい──。

横浜のこどもホスピス「うみとそらのおうち」を取材させていただく中で、お子さんを笑顔で見守るご家族の姿から、そんな無言のメッセージを受け取ることが、多々あります。

ご紹介したように、国内各地でこどもホスピスプロジェクトが立ち上がりましたが、翻(ひるがえ)って考えると、重い病や障がいと共にある子どもたちと家族が、これまでいかに病院と自宅に閉じ込められてきたか、ということだと思います。

こどもホスピスの「概念」も定まらない段階ですが、一人でも多くの子どもとご家族が、「こどもホスピス」的な環境に出会える社会について、考え続けたいと思います。


取材・文/浜田奈美

フリーライター浜田奈美が、こどもホスピス「うみとそらのおうち」での物語を描いたノンフィクション。高橋源一郎氏推薦。『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(朝日新聞出版)
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はまだ なみ

浜田 奈美

Nami Hamada
フリーライター

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。