村上康成×はたこうしろう 絵本作家の修行時代

~絵本作家をめざすあなたへ~

ナチュラリストとして、自然に対する深い思いを描き、子どもから大人まで人気を集める、絵本作家の村上康成さんと、はたこうしろうさん。そんなおふたりは、講談社の絵本新人賞の選考委員としても活躍されています。今回は、それぞれの新人時代を振り返りながら、絵本を創作することの醍醐味を語り合いました。これから絵本を描いていきたいという人たちへのエールもたっぷり。緑ゆたかな国立市の自然のなかでのスペシャルトークです。
 撮影:米沢耕(dandan) ※この記事は、子どもの本通信『dandan』Vol.35(講談社 2016年11月刊)掲載の対談企画を再構成したものです。

村上康成さん(左)と、はたこうしろうさん(右)  撮影:米沢耕(dandan)

めくって伝える絵本の表現にノックアウト

村上 はたさんの絵本デビューは何歳のとき?

はた 30歳くらい。文房具のメーカーに2年近く勤めて、それからフリーで主に広告のイラストの仕事をしていたころですね。

村上 虎視眈々と絵本作家を目指した?

はた 絵本作家になりたいと思ったのは、中学1年生のときに、先生が長谷川集平さんの『はせがわくんきらいや』(復刊ドットコム)を読み聞かせしてくれたことがきっかけです。すごい衝撃で、こういう表現ができる人になりたいと思って。

村上 僕は、美大浪人中に、名古屋の寺子屋みたいな予備校にいたの。そこは長谷川集平もいて。当然、影響を受けましたね。あるとき、長谷川集平も一緒に谷内こうたさんの『のらいぬ』(至光社)という絵本の原画展で、絵本の『のらいぬ』を見て、めくって伝える絵本の表現、文章の織り成す世界の面白さに、腰が抜けるほどの驚きと新鮮さを感じてね。その絵本を買って、ひたすら模写しましたよ。

はた 僕は、和田誠さんの『和田誠百貨店』(美術出版社  絶版)に惚れ込んで、和田さんの絵をずいぶん真似しました。大学に入ってからは、絵本のことは忘れていて、広告業界でいう、かっこいいイラストレーターに憧れていました。80年代の前半、日比野克彦さんとかでてきて、広告業界でイラストがすごく使われた時代です。

村上 絵本を描いたきっかけは?

はた 当時、岩波書店の岩波ジュニア新書のイラストを描いていたんですよ。本の仕事ってそれぐらいだったんですけどね(笑)。夏のフェア用に、なんでもいいからポスターとパンフレットを描いてくれって頼まれて。その作品が、ある児童書の編集者の目に留まり、「あなた、絵本が描きたいんじゃないの?」っていわれました。

村上 最初に描いたのは?

はた 日本昔ばなしを英語にして出版するっていう企画です。メンバーは荒井良二さん、林静一さん、伊藤秀男さんなどです。

村上 個性派揃いじゃないですか。

はた そうなんです。編集者に、「ひとりぐらい、新人も入れたいのよ」っていわれました。今思えば、昔ばなしは、新人が初めて描く世界としては、やりやすい舞台でしたね。描いたのは『ねずみの嫁入り』。これは、めっちゃ楽しかった!

村上 やりたいな、という情熱がなによりですよね。

はた その1冊の絵本の仕事がおもしろすぎて、もう他のことをやるのが、すっごい辛くなって。結局、広告の仕事を断りました。だいたい僕には向いてなかったんです。

絵本作家の村上康成さんと、はたこうしろうさん 撮影:米沢耕(dandan)

漫画のネームを読みながら絵本展開を学んでいた

村上 絵本は簡単じゃないでしょ。

はた 実はうちの嫁さんが「おーなり由子」っていう漫画家で。

村上 そうですね。

はた 結婚したころ、彼女は「りぼん」という雑誌に漫画を連載していて、ネームをよく見せられていたんですよ。 で、「どうだった?」って意見を聞かれるんですね。最初は、よくわからなかったんですけど、彼女が、場面やアングル、台詞にちょっと修正を入れるだけで、流れがよくなっていくんです。あと、コマ割りでも印象が全然変わるんだなっていうのがわかってきた。絵本も展開という点では似ています。

村上 奥さんのアドバイスって大きいんですよね。

はた 本当に!  その経験があったので、わりとすぐにできましたね。で、編集者にラフ見せたら、「あっ、ちゃんとできてる」って。

村上 なるほど。

はた 師匠は嫁さんです(笑)。

村上 僕は、全然できなかったな。自分の才能が陳腐だなと思って。

はた 昔ばなしは、しっかりしたお話が土台にあって、それを絵で構成するだけだったから、できたと思うんですよね。ゼロからの創作は、また違いますよ。

村上 絵本という手段を使って何を表現したいのか。そういう点で、学生時代は絵本に憧れただけだったな。絵本作家になりたいって思って、絵本の手段で何か、中途半端な話を描いてみるわけよ。でもそれはやっぱり違うんだよね。長谷川集平は、『はせがわくんきらいや』で、ヒ素ミルクに対する憤りも含めた社会性という「核」があって、それを超えた上で、絵本世界まで持ち上げていったんだけど、僕には、それがなくてね。「核」は探して見つけられるものなのかな? って悩んだ。

はた うーん。よくわかるな。新人のころって、むやみに物語を作ろうとするんですよ。でも、作るより前に、実は自分のなかに何かあって、それをどう表現するかっていうことじゃないと、おもしろいものってできない。伝えたいものがあるんだから、そこを素直に煮詰めれば、それぞれのものができると思うんですけどね。なんか自分のなかにないものをよそから持ってきて、薄っぺらいものを作ろうとする。

村上 できあがった世界に、やっぱり憧れるんだよね。素直に自分が熱く燃えるエネルギーがなきゃだめだと思う。テーマはなんだっていい。
あとね、絵は表現手段だと思うので、描いて描いて描きまくらないとだめ。絵が描けて文章が書けてという技量は、あって当たり前。あと、わざわざ本にして、「どう?」って見せるずうずうしさも必要ね。

はた 「伝えたい」という気持ちがひとりよがりになってもいけませんね。

*1955年に森永乳業の粉ミルクを飲んだ乳幼児に多数の死者、中毒者を出した毒物混入事件のこと。長谷川集平氏自身もその被害者。

「センスとパッションが、はたこうしろうのいいところ」と村上康成さん。「村上さんの絵の洗練 されているところが好き」と、はたこうしろうさん  撮影:米沢耕(dandan)

皮膚感覚を鍛えて人間力アップを目指せ

村上 僕は大学で絵本の講師をしていて、学生たちに、「今あなたが作っている本に帯を巻くとして、帯の文章は何て入れる?」と聞くと、何もなかったり、自分に酔った世界でしかなかったりすることがあるんだ。そういうときじゃあ、その絵本を誰に伝えるのか。近所のだれか君を思ってみなよっていってみる。あるいは本当に、不特定多数って思うならそれでもいいけれども、その人に見せて、喜んでもらうには、この言葉でいいのか、この絵でいいのか、熟考しないとね。

はた 新人賞の作品にもあてはまりますね。自分自身の中心にあるものって、本人は、わりととるに足らないものって思いがち。もっと他にやっている人がいるから、自分はまだまだ描けない、と思っちゃう人も多いような気がするんです。僕も最初、虫の絵本は描けなかった。松岡達英さんとか、もっともっと詳しい人がいっぱいいて、魚だと村上さんとかいらっしゃるので、そういうネイチャーものは、とてもじゃないけど、僕は、やっちゃいけないって思っていて。

村上 それを、描いてもいいのかなと思ったのはいつごろ?

はた ここ10年ぐらいですかね。だから、誰でも自分の核にあるものを、そのまんま自分らしく全部吐きだしたほうがいいと思うんです。それに、自分を成長させるには自然のなかに身をおいていろいろ体験するって必要だと思う。

村上 自然には圧倒的な感動がある。光、水、葉っぱ、虫、いろんなことが。それらが生きているということにやがて気付き始めて、すごいと思って。みんなに、そういうものを体に染み込ませてほしいな。そんな体験から人間が表現したものを楽しむ力もついてくるんじゃないかなと。

はた 綺麗で面白い自然と接していると、これ以上のものがあるのって思いますよね。子どもたちも、こういうふうに思えるようになれば、人生楽しくなります。

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