離島での「不登校」を経て首都圏へ移住 「学校に行かない」を選んだ3兄妹と母の今

離島で子どもが不登校! 3児ママの“不登校”奮闘記#4~現在の暮らし~

ライター:まちだ 結衣

沖縄・離島での朝焼け。子どもの不登校で悩むこと2年以上、ママにも少し光がさしてきました。  写真:まちだ結衣

首都圏で長男の登校しぶりを経験し、2019年に沖縄の美しい離島へ3人の子どもを連れ家族5人で移住したライター・まちだ結衣さん。

美しい海と植物や生き物にあふれた環境に子どもたちも大喜びで、優しい島民にも恵まれ、すんなり離島暮らしに馴染むことができました。

ところが、2020年春のコロナ禍の全国一斉休校を機に、長男、次男が学校を休みがちに。さらに、その後入学した1年生の長女までもが「学校に行きたくない」と言い始めます。

離島に移住したとき小4だった長男が小6になった2022年秋。本人自ら「環境を変えたい」と言い出し、ママは悩んだ末、長男と私立中学受験に挑みます。

今は中1になった長男と、小学生の次男(小5)、長女(小2)と首都圏で暮らしています。現在、3人の子どもたちはどう変化したのでしょうか?

●4回目/全4回(#1#2#3を読む)

引っ越し後の3人は今〔2024年3月・首都圏〕

小6の9月(2022年)から中学受験を決めた長男は、校則もなく学ぶ内容も個性的という自由な校風の中学校に合格。今は友人にも恵まれて楽しんで通学しています。

たまにめまいが起こって休む日もありますが、本人のペースと対話を大切にしている学校なので、居心地良くマイペースに過ごせているようです。

近ごろ感激したのは、冬休みが明ける前に「そろそろ暇だから学校行きたいなあ」と長男がつぶやいたこと! 「学校に通うようになって初めて聞いた言葉かもしれない!」と驚き、うれしくなりました。

次男と長女は、引っ越した先の公立小学校へ転入しました。離島ではヒトケタ台だったクラスの生徒数が、一気に三十数名に! ずっと自由登校状態でもあった2人なので、首都圏の新しい小学校へ転入する前に教頭先生にこれまでの状況をお伝えしていました。

教頭先生と事前面談をした際は意気揚々と島の暮らしや自分のことについてしゃべり、校庭でブランコをこぎまくるなど楽しんでいた2人。しかし、転入初日の朝、朝礼で全校生徒の前で名前を言うようにうながされると、しっかりと言えた次男に対し、長女は固まって全く言葉が出てきません。クラスに行ってからも、相当緊張していたようです。

2人が学校へ通わなくなる可能性は初めから想定内だったので、4月早々に近所にあるフリースクールの体験に行ったところ、大ヒット! 今でも大切な居場所になっています。

フリースクールへは週に2回行き、さまざまな体験活動をします。朝集まって読書やドリル、お絵かきなどそれぞれが選んだ静かに過ごせる活動に取り組み、そのあとは焚き火をしたり、実験をしたり、近所の駄菓子屋へ行ったり。博物館や動物園などへ遠足に行くこともあります。

子どもは小学1年生から中学生まで10名ほどが在籍しています。学年関係なく過ごす時間は、どこか島にいたときと似ているのかもしれません。代表は、わが子の不登校を経験された方で、居場所作りや、学び場作りに信念を持っておられます。心理士さんの訪問が定期的にあったり、学校との出席認定のやり取りをしてくれたりと、手厚いサポートで支えてくれます。

転入当初、次男は優しい友達と先生に恵まれ通っていました。しかし、少しずつ足が遠のき、2学期からは「行かない」選択をしています「今日は行く?」とたまに聞きますが、基本的には「いや、やめておく」との答え。

昼間はプログラミングゲームのScratch(スクラッチ)でアニメーションを作ったり、ピアノを耳コピして弾いたり、ときどきタブレット学習などをして過ごしています。さらに、放課後に友だちが遊びに来てくれたり、地域のお祭りに誘われていったりと良い友人関係も築いています。

長女は、転入当初から教室に緊張して入れず、私に近くにいてほしがっていました。一緒に登校して、私も付き添ってなんとか1時間だけ過ごして下校する……ということを少しやりましたが、付き添い登校は、親子ともに消耗するなとつくづく感じました。そして、やはり、次男同様、今は行かない選択をしています。

小2娘が100円ショップで集めた粘土やビーズを使って作ったパフェ。料理や工作の腕が日々上達している。  写真:まちだ結衣

周りに頼れるようになってきたかもしれない

フリースクールのない日にも過ごせる場所があればといろいろなフリースクールや学びの場の体験にも参加しています。

居場所探しにあたっては、不登校をサポートするHP「街のとまり木」や、おおたとしまささん著の『不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき』を参考にしています。

私も、フリースクールに行くようになって不登校の保護者の方と接することで「うちだけじゃないんだ」と安心でき、学校との連絡方法や進路選択についての情報交換もできるのは大きいことでした。今は不登校という現実に落ち込みすぎずに過ごせています。

学校にも理解してもらい、たまに子どもたちと学校へ出向き、先生とお話をするようにしています。フリースクールの保護者の方々から、給食や学用品の購入はストップできることを教わって止めました。

それでも、「来たくなったらいつでも来て」と先生は言ってくれ、最近は、子どもたちが保健室の先生と親しくなり、保健室登校をして給食を食べる日も。特に、長女は「保健室に来る子たちと仲良くなったんだよ」「学校楽しい!」と、教室には入らなくても学校は好きなようです。とても頼もしく思っています。

さらに、今までは各校長判断だったフリースクールに行く日の出席認定も、私たちが暮らす自治体では認定する方針になったそうです。そのため、市の教育センターの担当者が我が家の2人の様子を見るためにフリースクールを見学に来てくれたこともありました。

フリースクールでやった焚き火。火を囲んでいると、自然と会話も弾む。  写真:まちだ結衣

発達の検査と小規模特認校とは?

離島にいたころから、学校の勉強の理解に時間のかかる次男と長女を見て、本人たちの発達特性を知りたいとも考えていました。首都圏に引っ越すにあたって、友人から「地域の教育センターに相談に行くといい」とアドバイスをもらい、それまで地域の教育センターへ相談したことがなかったので目からうろこ。

教育センターの面談では、これまでの離島での様子や学校行きしぶりの経緯、行かなくても明るく過ごせていることなどをひとしきり伝えると、「お母さん、対応の仕方が素晴らしい。本を書いてほしいくらいです」との声をいただいたのです。

今まで、暗闇の中をさまようような感覚もありましたが、ようやく少し光が差したような、これまでしていたことが報われたように感じた瞬間でもありました。

教育センターで子どもの発達を知る検査「WISC(ウィスク)」も受けました。結果をていねいに説明してもらい「どうして学校に居心地の悪さを感じるのか?」など、子どもたちを観察してそれとなく感じていたことを言葉にしてもらったところ、腑に落ちるところが多々。

また、暮らしている自治体の近くには全校児童数が30名前後の「小規模特認校」がいくつかあると知って、実際に見学にも行きました。公立の学校ですが、少人数に惹かれて移住しているご家族もいるとのこと。

小規模特認校は、自然豊かな環境に恵まれた小規模な学校で、決まった範囲内であれば越境して通学することもできる制度です。決まりは自治体によっても異なるので、もし興味のある方がいたら問い合わせてみることをおすすめします。

首都圏の新しい土地では海は遠くなったが山や川が近くにある。夏は川遊びを楽しんだ。  写真:まちだ結衣

ホームスクールで大変なこと

「子どもの自己決定」を大切にしようと過ごしていますが、学校に行かない選択をする場合、金銭面の負担はとても大きいです。発達脳科学者の成田奈緒子先生がインタビュー記事で「フリースクールは玉石混淆」とおっしゃっていましたが、簡易的な設備しかなくても、補助金などなく運営しているため私立の学校に行くほどの金額がかかる場所も。

不登校になって、給食が毎日食べられて、校庭や音楽室、理科室、体育館など、設備が揃って工作や合奏、スポーツなどの体験もいっぱいできる学校って、やっぱりすごいとも感じています。

なかなか、「学校に行かなくても大丈夫」と思えないことは、当事者なのでよくわかります。私もまだまだ迷ってばかりです。これで良いのだろうか? 何か間違っているのでは? と怖くなることもあります。でも、子どもたちが選ぶことを信じたいと思うのです。

同時に、この先この道がどうつながっていくのか、どこか楽しみでもあります。いろいろなスクールや習い事の体験に行くことで、私も好奇心を刺激されているのかもしれません。

親は子どもと別の人間。親子であっても別の人間なんだと、頭で理解はしていたけど受け入れきれませんでした。でも、この4年ほどで、腹落ちしたように感じています。

最後に、「離島から関東に引っ越した」と話をすると、「離島だと教育(勉強)は心配だよね」と言われることがあります。でも、そこは全く気がかりではありませんでした。

勉強以上に、人との関わり、自分が上級生でもあり下級生でもあること。少人数で異年齢の中で過ごしたあの時間は、かけがえのない時間だったなあと今でも感謝しています。

島の友人から、長男が不登校になったとき、こんな言葉をもらいました。

「◯◯◯(長男)はすごく自分に正直で素直なんだと思うよ。それってとても大事! 問題ないよ。賢いから自分のペースできっと道を開いていくよ。絶対に大丈夫だと思う」

フリースクールのスタッフさんからも「◯◯くん(次男)と、◯◯ちゃん(長女)の集中力や創造性、すごいよね!」と、日々受け止め、認めてもらえています。

今までの出会いがあったから、学校に戻ることにこだわりすぎず、子どもたちそれぞれの選択を大切にできたのかもしれません。わが子だけではありません。一人ひとりがその子に合った学び方を、公教育の中でも選べるような選択肢が広がっていってほしいというのが、今の一番の願いです。

<了>

【参考】
街のとまり木
小児科医・発達脳科学者・成田奈緒子先生~不登校をチャンスに変えるには~

※【離島で子どもが不登校! 3児ママの“不登校”奮闘記】は全4回(公開日までリンク無効)
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まちだ 結衣

Yui Machida
ライター

東京都出身。 東京学芸大学卒。小学校教諭免許所持。 教育や子育て分野で取材記事やコラムを執筆・編集。2男1女の母。子どもたちの不登校を機に、フリースクールやホームスクールなど学び方を模索中。 ・X(旧Twitter) yuimachi123

東京都出身。 東京学芸大学卒。小学校教諭免許所持。 教育や子育て分野で取材記事やコラムを執筆・編集。2男1女の母。子どもたちの不登校を機に、フリースクールやホームスクールなど学び方を模索中。 ・X(旧Twitter) yuimachi123